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オペラの成り立ち
1794年7月17日、ちょうどフランス大革命の恐怖政治の終わる10日前、殉教を誓い合ったコンピエーニュのカルメル会の16人の修道女が捕らえられ、革命法廷で死刑の判決をうけ、即日パリのトローヌ広場でギロチンにかけられた。
この史実を題材にして、ドイツの女流作家でカトリックへ改宗したゲルトルート・フォン・ル・フォール(1876-1971)、が殉教から逃れた修道女マリーから聞いた人からの手紙という形で小説「断頭台の最後の女」を1931年に発表した。 ナチスドイツによる弾圧をフランス革命の狂気に借りて書いたとも言われる。フランスのカトリシズムの小説家ジョルジュ・ベルナノス(1888-1948)はこの小説を題材にして、映画の台本として「カルメル会修道女の対話」を書いたが、これが絶筆となった。この台詞は映画には向かないとして無視されていたが、1949年にこの台本を発見したアルベール・ベガンは、この台本に手を加え5場の「カルメル会修道女の対話」をスイユ社から刊行した。1951年にドイツ語訳がチューリッヒで上演され、翌1952年にパリのエベルト座で上演された。フランシス・プーランクは、このテキストをほとんどそのままに使ったオペラを1953年に着手して同名の3幕12場のオペラに纏め上げた。このオペラは1957年1月26日、ミラノ・スカラ座でイタリア語によって初演され、 同年6月21日、パリ・オペラ座でフランス語にて再演された。1960年になって、ベルナノスに提供した最初の映画シナリオを書いたブリュックベルジェとフィリップ・アゴスティニによって映画化されている。
1774年、ルイ16世とオーストリア皇女マリー・アントワネットの結婚を祝う花火が暴発して暴動が起こり、群集が興奮して馬車で通りかかった身重の若いド・ラ・フォルス侯爵夫人に乱暴が働かれそうになった。その夜に夫人は女児を生んで死んだ。このオペラはそれから15年後の1789年の春から始まる。 |
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参考情報 |
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