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パナマ地峡の分水嶺 Panama Isthmus   2011131()


より「すごい分水嶺」を求めて、火野正平さんの「こころ旅」ならぬ「あたま旅」に出ています。

 

きょうは太平洋と大西洋を隔てる分水嶺です。 カナダとアメリカを南北に切り裂くロッキー山脈、南アメリカの背骨アンデス山脈はいうまでもありませんが、最初に取り掛かったのは、南北アメリカ大陸を結ぶ中米、それもパナマ地峡です。 もっとも狭い部分の幅は64km。 ここはパナマ運河が分水嶺を見事に切断して、そこを大型船が行き交う、重要航路であり世界の軍事戦略上の要です。 この地点の「発見」は16世紀の大航海時代、1513913日にスペインのバスコ・ヌーニェス・デ・バルボア (Vasco Núñez de Balboa 1475-1519) が原住民の案内でこの地峡を横断し、原住民が「南の海」と呼んでいる太平洋を始めて見た時となっています。 後にポルトガルのマガリャンイス (英語でマジェラン) は大陸の南、激しいマゼラン海峡を抜けて穏やかな太平洋に出て、この海を「静の海」 "Pacifica" (peaceful) と名付けました。  「地峡」は英語で Isthmus 。 sthm と子音が繋がる発音 [sθm] が難しい。 古代ギリシャ語の ἰσθμός 「首」 から。

 

 

パナマ地峡のここ部分は、この「発見者」の名前をとって、バルボア地峡と呼ばれ、20世紀になってここに運河が作られました。

 

現在の地峡の真中にあるガツン湖 (Lago Gatun) はこの地点でカリブ海に流れるチャグレ川 (Rio Chagres) をダムでせき止めて作られた人造湖です。 

 

Wikipedia によると、ガツンダムはアースダムとしては世界最大、ガツン湖は人造湖として世界最大、とあります。 ガツン湖を作った目的はもちろん地峡を船で越えるための運河計画の一部です。  日本列島と異なり標高が低い土地ゆえのアイデアです。 このダムの幅は2,300m、基盤部分の厚さ640m, 水位標高26.5mです。 現在は中央部にはコンクリートの幅 225m のアーチ状のオーバーフロー堰が設けられています。 右上がガツン湖からカリブ海へ抜ける運河水路への出入口部分のガツン閘門 (Gatun Locks) です。  写真を拡大してください。 閘門が見えます。

 

ガツンダムの中央部の溢水堰 (Spillway) です。 このダムの水位差を利用して発電もして運河閘門施設などの動力源として利用されています。

 

このバルボア地峡は運河が築かれる前はどうだったのかが関心事です。 分水嶺はどこかというと、この元のチャグレ川の水源部、太平洋からわずか15kmあたりの地点です。 このあたりは、もともとは海抜 30m から 100m 程度の河川床ですが、この開削部は「コルテクレブラ」 Corte Culebra (英語ではゲイラードカット Gaillard Cut) と呼ばれています。  全地球標高データ 50m メッシュで分水嶺の断面をみても、開削された後では、この分水嶺の標高はよく分かりませんが、Wikipedia によると、この部分の開削事業は最初1881年にフランス人フェルディナンド・レセップス (Ferdinand de Lesseps) の事業として海面レベルの運河を作る予定で始まり、最高部を標高64mから59mまで掘り下げたところで事業が行き詰まり、1889年に頓挫しました。  1904年からはアメリカ政府に引き継がれ、海面レベルで繋ぐのではなく、人造湖と閘門式に改めることになり、クレブラの開削は標高59mから12mまで掘り下げて完成したとあります。

 

1904年の運河水路開削工事の様子です。 Wikipedia から転載。

 

クレブラカット (ゲイラードカット) は運河クルーズ観光の目玉にもなっているようです。

 現在パナマ運河の拡張プロジェクト2014年に完成の予定で進行中です。

 

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