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旧東海道歩き Tokaido walking きょうは自宅のある保土ヶ谷から旧東海道を藤沢まで歩きました。 16.4km、約2万6千歩でした。 画像をクリックすると大きい写真が見えます。
普通に歩いていても結構疲れます。 江戸時代の参勤交代の旅程は通常1日に10里、40km程度進んだそうですが、普段運動をしていない行列メンバーにはかなりきつい旅行であったことなどを思いはせながら黙々と歩きました。 加賀の3代藩主・前田光高の1643年の旅では480km を6泊7日で江戸に着いたという大記録があるそうです。 なんと1日平均 70km。 金沢から富山・高田・上田・碓氷峠・熊谷・浦和経由です。 急いだ理由というのは正室、水戸徳川氏、徳川頼房の娘 (徳川家光の養女・清泰院) が産気づいたからだといいますが、その知らせが江戸から加賀まで数日、さらに7日で江戸、トータル約2週間。 さぞ喜んだことでしょう。 その誕生をそれほど大切にした理由というのは、NHKドラマがお似合いです。 その子というのが綱紀。 曽祖父利家、従祖父初代利長、祖父2代利常、父3代光高など歴代の加賀藩主と同様に幼名は犬千代。 しかしその若い父親光高はその2年後、30歳(満29歳)のときに老中酒井忠勝を招いた茶会の席で突然倒れて亡くなりました。 駕籠に乗り詰めで、エコノミークラス症候群を発症していたのかも知れません。 この子綱紀は3歳にして第4代藩主となりました。
もっと遠い藩の参勤交代はどのようにして行われたのかが気になって、萩藩を調べてみたら、萩と瀬戸内側との間に参勤交代用に立派な道路が整備されて一部海路を使ったことが分かりました。 長門国の萩と周防国の三田尻 (今の防府市) との間を結ぶ53kmの参勤交代道路は「萩往還」と呼ばれ、山陰と山陽を結ぶ重要な街道であり、現在は国道262号として整備され、中世の遺構は国の史跡に指定されています。 瀬戸内海を船でどこまで渡ったのでしょうか。 九州・四国の藩主の参勤交代は海路も使われて、すべて陸路での旅行となった加賀藩に比べれば随分楽だったろう、と思われたのですが、いやいやそうではないようです。 初期は道路が整備されておらず海路にも頼っていたようですが、中期以降は街道が整備されて、主に陸路が使われていたようです。 紀伊半島を巡って遠州灘から江戸へ直接船で乗りつけるのは禁じられていたそうです。 参勤交代ではないですが、幕末に薩摩藩の島津久光が京の勅使警備で江戸へ赴いた帰りの行列をイギリス商人達が邪魔したとして発生した生麦事件、この時は東海道を上る途中で大坂までは陸路だったのでした。
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