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2014128() 28

氷上町石生 Is(i)o, Hikami-town


昨日の日記「中央分水嶺リスト」で少し触れた、「石生(いそう)」、別名「水分れの町」のことについてちょっと書きます。 

 

石生は「低地分水界」として分水嶺マニアの中では有名で、日本列島の内陸で最も標高の低い「中央分水嶺」です。 標高は海抜約95m

 

 

この町の名物「水分れ公園」にある水路の分水点 (山から流れ出た水が「ここで日本海と太平洋に分かれて流れる」とされています) は灌漑用水の水路と水の分配のための分岐として人工的に作ったものです。  黄色い線の「おそらく元の分水嶺」はこの潅漑工事前の自然の分水嶺線です。 この堆積平野を整地して田畑の農業用水を確保するための潅漑用の水路を開削した際に、谷からの水の流れを分岐して水の流入の少ない北側 (日本海側) の田畑へも導水したのです。  この部分の水の流れを水路によって強制的に変更した結果、自然の分水界は人工の赤い「現在の分水界」にとって代られたのです。  このような潅漑工事とは無関係にこ石生は「標高の一番低い分水界」であることは昔からよく知られていたのですが、ご多分に漏れず、ここでも「町おこし」のための観光ビジネスとして、この農業用施設の水路分岐点を大々的に利用して「分水嶺・水分れ」を売り物にしているのです。 そしてそれを見た観光客が誤解して、「ここが『分水嶺』でそれで水が分かれるのか」と喜ぶという仕掛けです。  「人寄せ」、「町おこし」の典型ですが、一方、この公園内にある「水分れ資料館」では加古川水運、生物移動、河川争奪などこの地点の低地分水界としての重要さがよく説明されています。

 

地質研究の発表論文によると、この部分では瀬戸内海側の加古川上流部分が日本海側の由良川上流部分を争奪したとありますので、昔の分水嶺 (分水界) は左の山からさらに左下の方に延びていたようです。 どうやら、左側の加古川上流域の堆積と中央の由良川上流域の堆積が嶺を越えて結びついた結果、北に向かって流れていた柏原川 (この図では見えませんが、現在は下の方を右から左に流れています) が左の方の加古川の方へ流れを変えたようです。  これも「河川争奪」です。 いずれもう少し良く調べてから、詳しく報告します。

 

上の鳥瞰図で示した、「おそらく新しい導水路」と「人工の溜池」、それに「現在の分水界]と記載した部分をグーグルマップのストリートビューで確認しました。 いずれの図・写真もクリックすると大きく見えます。

 

まず、ストリートビューの撮影ポイントを赤い矢印で示します。 それぞれのポイントをクリックしてもそれぞれの場所の大きい写真が見えます。

 

 

溜池はこんな感じです。「池を見る」

 

「おそらく新しい導水路」と書いたのは、このような農道の側溝でした。 この側溝の先が下の写真です。「道路の側溝」

 

側溝の水はここから溜池に入ります。「水の入口」

 

溜池の水はここから水路に流れ出て道路に沿って西の方へ流れます。「水の出口」

 

溜池の辺りの勾配を確認するために、溜池の東側の南北の道路を北から見てみると、先の道路まで登りです。 「勾配確認」 

 

突き当たりの交叉点を右の方から撮影した写真です。 「水分れ公園P」の看板のところから左の土地が下がっています。 この部分の水は「溜池」を経て日本海側に流れ出るのがよく分かります。  道路の右側に沿った川が「高谷川」で瀬戸内海側の加古川に流れます。  従って、この道路が「分水界」です。  一番上の鳥瞰図でこの道路を「現在の分水界」と記載したのは正しいことが証明されました。 「高谷川」

 

しかし、よく考えてみると、昔から自然にある地形の中に人工で水路を作り、その水路の流れを別の水系に流すというやり方(このやり方は水に困っている地域で古来から普通に行われている潅漑方法)で、あたらしい分水線を、「それ、これが分水嶺だ」といわれても、分水嶺ファンにとっては、まったく嬉しくもないし、この線を「分水界」とか「分水嶺」とか呼ぶのには賛成できません。

 

この写真を見て、上に書いた潅漑工事前の「おそらく元の分水嶺」はどうやら間違いのような気がしてきました。 この広くてまっすぐな高谷川の方が、潅漑工事で作られた新しい水路ではないだろうかと。 この川の形はどう見ても人工的に地面を掘り下げたものだと思われるのです。 そうすると、潅漑工事前の元の水は、この辺りでも北の日本海側へ流れていたように思えます。 そこで思い切って、地図に戻って、大胆に「潅漑工事前の自然な分水嶺」をもっと南の方へ引きなおしてみました。  下の地図の黄色い線です。  この案だと、現在の水分け公園にある分水点上の写真「高谷川」の辺りもともと日本海側に属する場所ということになります。  線を引き直すにあたっては最も標高の低い場所の地形がどうなっていたかを知る必要があるのですが、ここは現在は水田のため、標高はまっ平で地図からでは判断しかねます。  水田になる前はこの辺りは大雨の時などはこの谷から流れ出た水が溜まって湿地帯だったと思われます。 潅漑工事前の昔の地図やボーリングデータではっきりするとは思いますが。  いかがでしょうか。

 

 

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