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韓国ソウル旅行
2003.7.29 - 7.31 |
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SARSによる観光客の激減で世界中の旅行業界が沈滞している。先月アラスカの自然を堪能したので、今度は食べ物をということで、またまたJALの社員向けのツアーで、食事なしだが半日市内観光付きで、しかも最高級のロッテホテルに2泊3日で3万円という韓国ソウル(京城・漢城)の安いパック旅行を見つけ、7月29日に出発した。
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これまで会社業務出張で韓国には3回、いずれもソウルとプサン(釜山)に立ち寄っている。最初の1984年春の出張では、原子力発電所の廃棄物処理技術の売り込みでソウルの韓国電力の本社、その後、プサンを経てウルサン(尉山)の近くにあるコリ(古里)原子力発電所を訪問した。当時は経済成長を遂げる前で、軍事政権下の緊迫感が町中にあふれて観光気分の余裕はなく、二人で勝手に食事をした。もともとにんにくの匂いに弱い私は、2日目から気分が悪くなり、滞在中に朝鮮料理を放棄してしまった。 以来20年、日本以上の経済発展とそれに続く「民主化」を遂げ、オリンピックとサッカーワールドカップを経験した韓国を、昨2002年にやはり業務出張でソウルとプサンを訪問した際には、訪問先の韓国の方の案内で本来の朝鮮のいろいろな料理に接し、遅まきながらその食文化と美味しさを自分の舌知ることになった。
2002年のワールドカップに間に合わせて作った大きなインチョン(仁川)国際空港はこれで3回目。 札幌空港のように半円形のターミナルビルが美しいが、そのサイズに人の数がつりあわずげ、ややさびしい感じ。どこの国でも到着した空港で「その国の匂い」を経験するが、意外にもインチョン空港は匂わない。先週までは日本と同じように梅雨空だったそうだが、真夏の強い日差し。
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現地ツアーガイドの若い女性パクさんの流暢な日本語とあたりのやさしい案内で、私たち二人だけのワゴン車で空港から市内へ。 高速道路の通るこのあたりにはお墓が多いのだが、昨今はお墓の土地が足りないという。理由はキリスト教なので土葬だからとのこと。この辺りの山には木が少ないので日本の風景との違いを実感する。オンドル(温床)で燃やすために、切り過ぎたのだろうか。組織的な植林事業がなかったのだろうか。それともこれが自然の形なのだろうか。青瓦台付近では絶対に写真をとってはならないとの強い申しつけと、その周辺の厳重な警備ぶりに、朝鮮戦争は休戦状態であってまだ終っていないことをあらためて思い知らされる。ソウル市内には多くの宮殿がある。その一つチャンドックン(昌徳宮)で朝鮮の宮殿建築を始めて見る。6世紀に日本列島に仏教が伝わって、そこでの展開を通して日本独特の建築と文化様式となっているが、ここ韓国で維持され又は復元された歴史的建造物はまた朝鮮特有の様式を今に伝えている。まず違いはやはり彩色と開放感と明るさ。共通のルーツが違う道のりを通って発展して異なる結果を見ることによって、見慣れた日本の寺や城や宮が漂わすわびさびが、日本独特のものであることに合点する。その中間に琉球王国であった沖縄を見た。屋根の上の獣達。
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最初の夕食は市内の焼肉屋さん。日本の観光雑誌で紹介している多くのお店から南大門市場に近い北倉洞の「ハニャン(漢陽)チュムロッ」を選んだ。雑誌の肉の見事な写真で選んだ。店のカンバンのおばさんはお姉さんが在日とのこと。このお店の特長はどんぐりの木の炭、こまかく刻んだネギを酢と醤油味の出汁で。季節がらすっぱいキムチについてのお話し。 それに冷麺と石焼ビビンパッ。結局焼肉は他の料理よりかなり高くことが分った。ちなみにおばさんは「るるぶ」がなぜ「るるぶ」であるのかを知っていた。私たちの持っていった「まっぷる」も良くご存知。両方の雑誌のどの版にもこのおばさんの元気な姿が載っている。食後、ナンデモン(南大門)市場を抜けて、ミョンドン(明洞)から、ナムサン(南山)公園まで腹ごなしに歩く。公園の手前で高速道路を渡るところがなく、大回りをして、急な坂と階段でケーブル乗り場に到着。そこからまたどういうわけかケーブルカーのプラットフォームまでまた階段。そう言えばソウルには道路の歩道が少なく、地下鉄や地下道が多いのにエスカレータが殆どない。お年寄りや身体障害者には不便な町のつくりとなっている。滞在中に車椅子の人を見なかったし、街中にはお年寄りを殆ど見かけなかった。ソウルは若い人とビジネスマンの街。ソウルタワーに上った。おりしも夏休みで日曜日とあって、多くの人が南山公園とこのタワーで夕涼み。タワーはソウルの町と、その郊外を360度展望できる。遠からず北西に見える海岸や島々は遠い国、北朝鮮。強い西日にマンション群が漢江に映える。狭いソウル市域に600万人を抱える。
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今や旅行者にとってペットボトルの水は必需品。ソウルでの値段(500ml)。ホテルの売店
150円、街のキヨスク(凍らせたものが程よく融けて)
100円、自動販売機 70円、コンビニ 50円。
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翌日は朝から徒歩で、もう一つの宮殿である、景福宮(キョンボックン)へ。 正門の前の大きな交差点にはどういうわけか横断歩道がなく遠回りして、次の交差点の地下道へ。丁度正門前の衛兵の交代式。衛兵役の若者の不動の表情にこちらが笑ってしまうのは、チェコのプラハ城と同じ。悪いけれど隣に並んで写真を撮る。この宮殿も大変美しく復元維持されて海外はもとより国内の観光客や修学旅行でにぎわっている。併設されている国立民族博物館では、古代から近代までの朝鮮民族の歴史を色々な資料によって分りやすく展示している。日本の占領下の朝鮮については日本からの数多くの観光客にも納得できるようにさらりと紹介しているが日本人としては心して見る。近代になって第二次世界大戦によって日本の占領統治から開放された後、外来のイデオロギーと都合によって不幸にも国土と民族が敵味方になって戦った朝鮮戦争、その結果国土と人々は南北に分断され、それぞれ大きく異なる体制となっている朝鮮の一つの民族の現代までの生活については、ここは民族の歴史の博物館であるのに、全く触れていないのが印象的である。暑い暑い真夏の太陽に宮殿の彩色が映え、宮殿内部の廊下や部屋には爽やかな風が通り抜けていた。 |
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朝鮮を代表する食べ物の次は、参鶏湯(サンゲタン)。特に夏の暑い昼時に汗をかきながら食べるものとのこと。この日はまさにうってつけ。景徳宮の近くにあって前回の出張時に会社の駐在の人につれてきてもらって勝手知ったる有名店の「土俗村参鶏湯(トソクチョンサンゲタン)」。地元の人たちが汗拭き拭き、揃いも揃って皆が皆、参鶏湯を一心不乱に食べている様子はこれぞ韓国ソウルの夏の昼下がり。日本の土用の丑の日のうなぎと同じ。私たちも一心不乱に食べたので写真をとることも忘れてしまった。参鶏湯なら「土俗村」は一押しの店である。二人でそれぞれ参鶏湯を一つというのはやや気後れがして、少々道に外れてはいるが一つだけにして、そのかわりどこかで食べなくてはならない「チジミ」を注文した。観光地疑念症候群に陥っている私だが、大勢の地元の人たちが普通に食べる店だから安心してホンモノだと納得できるこのチジミは大きくて美味い。ここで参鶏湯とチジミを食べたのは正しかったはず。 |
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ソウル市の地下鉄は切符の自動販売機と自動改札で外国人も使いやすく大変便利である。 日本の地下鉄より安い。日本の観光旅行雑誌で新しい街と紹介されている、韓国ではめずらしく西欧かぶれの街、狎鷗亭洞(アックジョンドン)へ。韓国の若い人たちのおしゃれ志向はなかなかのものではあるが、ヨーロッパのブランド店が並ぶあたりは閑散として、ミョンドン(明洞)の賑やかさと好対照である。はたしてこのブランド各店は持続できるか興味深い。 |
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ガイドのパクさんの勧めで、夕食はパッケージオプションの韓定食レストランへ。写真は最初に出てくるチンクジョル(九節板)。小麦粉と卵で薄く焼いた皮(中心)に、肉、野菜、卵などで出来た具を包んで食べる。五色五味の思想。この後、魚介、肉、穀物、野菜、果物、菓子などいろいろな料理のオンパレード。それぞれ見た目とバライエティの楽しさはあるものの、味については今ひとつピンとこないのは、日本人故か。水キムチ(写真の下中央部)は塩水につけた短冊に切った大根。味噌汁は味が濃すぎて口に合わない。ごま油を使った料理が多い。それにしてもゆでた馬鈴薯のマヨネーズ和え(普通にいうとポテトサラダ)がよくでてくるが、こんなもの昔はなかったはずだがいつのまにか韓国料理に仲間入りしている。
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食後に朝鮮舞踊がついている。激しい踊り、静かな踊り、太鼓の踊り、ユーモアな踊り、などなど。衣装の華やかさ、表情などが魅了する。食事だけでなくて、踊りが付いてて良かった。しかしお客はすべて日本からのツアー客だけだった。
出発の日の朝は、計画最後のお粥をガイドのパクさんから教えてもらったロッテホテル裏の「アリラン」で食べる。
ホテルから空港への移動途中に旅行会社にとっては必須のツアー行程であるお土産屋さんへ連行され、韓国ノリとキムチを市価の5倍の値段で買わざるを得ない仕組みに敢えてはまり込んだ。パクさんも言外に、「こんな高い店に連れて行ってごめんね。ガイドでなければこんなところで買うのはよしなさいと言えるのに」と。帰国後にご近所に差し上げたノリとキムチをみんな「とてもおいしい」と言ってくれたので、いいものだったはずとの妻の言葉に「お土産をくれた人にその吟味を正直に伝える人などいない」、とはさすがに言えない。
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