トップ > 臍曲的虚言 > へそまがり氏の思考・言動・行動抜粋


こんなものいらない


証券取引・先物取引

思惑だけで、人をだましても、実体のないものを、ゲーム感覚で、自分だけカネを増やしたい人が、必要としている仕組み。

ワンセグケータイ

アナログテレビの時代はポータブルテレビは見向きもされなかった。新しいデジタル通信の技術のワンセグだからといってそれほど必要でもないテレビをつけて、若者が大好きな「機種変更」を餌にまた売りつけている。

区役所が配る幟旗

「安全パトロール実施中」「あいさつ運動実施中」「区制80周年」など区役所が住民自治会に配るこれらの幟旗は、自治会には必要ない。役所のいいなりでこれを掲げている近隣の自治会区域では、ぼろぼろになったり、竿だけになったものが放置されている。 「あいさつ」が「防犯活動」?馬鹿馬鹿しい!

冷蔵庫のタンク式製氷器

「電気冷蔵庫」は製氷皿にできた氷を外して新しい水を張って戻すのはやや面倒だ。というわけで水を入れたタンクで自動的に氷を作る冷蔵庫が多い。しかしこれはタンク内やパイプ内に水垢や雑菌が蓄積するという欠陥がある。それを定期的にまた頻繁に清掃しなければ出来る氷はとても不潔になる。この清掃はもっともっと煩雑な作業である。面倒くさがり屋が騙される家電製品の典型。こんな汚い氷を食べても病気になった人はあまりいないようだが、いずれ問題が表面化して大騒ぎになって、この仕掛けはなくなるだろう。24時間風呂と同じ、くだらない商品。

国旗・国歌

世界の人々が自由に行き来し、どこでも定住し、移民し、国籍も税法上からのみ必要になっている現在、果たして「国」にはどういう意味があるのか。「国民」とはなにか。「国体」(国民体育大会ではない)には誰も関心も、価値も認めていない現在、「国」が必要なのかどうかを考えよう。朝青龍や琴欧州にとって「君が代」は、松井やイチローやToronto(昔のExpos) にとって「The Star-Spangled Banner」はどういう意味があるのか。もとから、The Major League Baseball の最終戦はThe US Series ではなく、The World Seriesではないか。オリンピックを競技者個人のゲームに戻そう。World Cup には太郎さんとジェームズさんとユスフさんとリーさんとパウロさんのいるおらがチームが出場しよう。

漢文の授業

現代の言葉も理解できないいまどきの高校生がなんでこんな時代錯誤で現実乖離の一地域、一時代の詩を学ばなくてはならないのかと漢文担当の教員自身が言っている。マンネリ化した教育制度の残滓。「おじいさん先生」がいなくなれば自然になくなる。教えたければカルチャーセンターが適当。

日本合唱連盟、日本吹奏楽連盟

音楽を楽しむことから遠ざける原因を作っている「コンクール」の大元締め。某新聞社が取り仕切っている。そもそも「連盟」なんて、権力維持のため、ビジネスのため、自集団の権益保護と他集団排斥のための仕組み。

社会保険庁(これは確信犯的泥棒集団)

プロ野球、肥大化しすぎた高校野球組織

JAF MATE、健保だより

天下り役人を養うための膨大な収入源

葬式

親しい人を「弔う」つもりであれば、また死者がいなくなってさびしいのであれば、葬儀をしたり、これに参列するよりも生きているうちに会うべきだ。葬儀に参列しても死者には伝わらず、死者に向けた「弔辞」は死んだ人には届かない。自分と死者とのコミュニケーションを人前でやるのはパフォーマンスにすぎない。かの鈴木大拙さんが畏友の西田幾多郎さんの葬儀で弔辞を述べたのは不可解。普段、経典にはまったく関心を持たないから死んだ人が仏になるなどと誤解して葬儀の時だけは数珠をもって手を合わせて「祈っているようなパフォーマンス」をして、意味もしらずに焼香する。

マスコミの視聴率かせぎのワイドショーで大きく報道されるような事故で亡くなったり、事件で殺された人の葬式には、みんなで押しかけて、死んだ人や殺された人が「とてもやさしくていい人でしたよ」などとカメラの前で得意になって嘘をつき、偽善の涙を流して見せる。そのような人は同じ人が病気になっても、しずかに亡くなっても知らんぷり。一方、葬儀を出す側は積極的な権力や財力の顕示、あるいは見栄、処世術かビジネスのツールだと割り切る。葬儀というものはしなくてはならないものなのだと思い込みただただ慣習に流されて右往左往すれば、「葬儀屋」や「葬儀取り仕切り屋」の餌食になる。

4000年の昔から生きている人の誇示のため。昔からあるから仕方なく維持。狭い日本では墓地ビジネスの餌食。死んだら自然に帰るのがよい。中途半端ながら日本ではようやく散骨が認められた。

結婚式

キリスト教徒でもないのに教会で。立会う牧師も商売商売。牧師の格好だけの牧師。結婚式ビジネスに乗せられて、お祭と同じくパフォーマンス、人がやるから私たちもやらないと格好がつかないから。

日本の「クリスマス」

そのうちお寺や神社でクリスマス。キリストが生まれた日でもないのに大騒ぎ。なんでもいいから大騒ぎ。ホテルは稼ぎ時。本当のクリスマス始まる時にはもう終わり。

初詣

安全は自分で作るもの。成田さんのお札をつけた暴走車。

お祭り

神様不在の観光客集めとテレビ受けねらいのショー化。祭りはイベントビジネスだ。

PTA

一体なんのためにこんなおかしな組織が未だに維持されているのか。アメリカから輸入の「民主主義的」システムも、いまや既得権益の温床。親が月々納付するPTA会費は教師や学校が独り占め。贈収賄の一種。初等中等教育を担う公立学校のPTAを廃止しよう。文部科学省は権益はあるものの知らん振り。「あれは皆さんが自主的にやられているもので、政府がとやかく言うものではありません。」と。

「ケータイ」

自己崩壊へまっしぐら。

「エコ」商品

エセエコ。「エコ」といえば売れるかも。エコ商品、売って売って売りまくれ。エコ車、売れに売れて年間100万台突破。「エコ」こそ景気回復の切り札、ああ。 日本の風力発電と原子力発電は「エコ」の衣をかぶった反環境・反社会的設備。今や「エコ」も観光資源。ジェット機で風車を見に行くエコツアー。

電動歯ブラシ

歯周病、歯槽膿漏を防止するといって次から次へと新しい歯ブラシが発売され、ついに面倒くさがりやをターゲットに電動歯ブラシが。最初は10000円以上の目が飛び出るほどの値段で売りにだされたが、一年の間に1000円以下になった。歯磨きを面倒だと考える人は所詮なにを使ってもすぐに飽きて、このビジネスの餌食。本当に歯を大切にする人は、ゆっくりと丁寧に手磨き。

ダイエット商品

「ダイエット」とはそもそも「食べる」という意味。それが病気を治癒を助ける為の食事すなわち「食餌養療」とか健康を維持するための「食事法」という意味で使われていた。それが、「やせる」とか「体重減量」という意味に使われているのは許せない。

やせればなんでもよいという風潮や、楽して一杯食べてもやせられるなどといううたい文句で馬鹿な人々を騙すのに使われている典型がダイエット商品である。

一般に体重の増減は、インプット(食事)とアウトプット(カロリー消費)の結果である。「やせの大食い」というのは本当であるがこれはその人の体質の問題である。「ダイエット商品」とはそのインとアウトのバランスの難しさに付け込んだ悪徳なビジネスである。

大手英語学校

「あなたも簡単に英語がしゃべれるようになります。」うそ。「当学校はすべてネイティブ」ネイティブだからといって英語が教えられる?インドのケララ州の人もフィリピンの人もスコットランドの人も言っちゃわるいが「ネイティブ」だ。「政府の補助金がもらえます。」だけど全額うちがもらいます。

資格ビジネス

必要性の低い資格ビジネスは日本では古来から、お花、踊り、お琴、書道などが栄えてきた。習い続けることによってだんだんと級とか段が上がり、いずれは「師範」とかの「ありがたい称号」を与えて(高い金で買わせて)、その胴元が儲かる仕組みである。すでに「資格ビジネス」経営資格コースもできている。くさいくさい。

ゆらぎ電器(なくなった)

えらい先生の研究成果を利用して、家庭電器の応用して売り出した。売り出したときは大流行で大儲け。しかし売れ続けるはずがないから、自然消滅。 代わっていまでは、、、、

オゾン発生電器

オゾンを出す電気器具。すぐなくなり忘れられるのが落ち。これを書いたのが2002年、今2004年、あら、もうなくなった。

自動車のスモークガラス

自動車がVIPの乗り物のようで、また社内を外から見えない密室にしたほうが「カッコいい」とか「都合がいい」考える馬鹿な人々と、売れれば何でもする自動車メーカの合作。かつては座席がまっ平になることを売り文句にしていた。自動車はラブホテルの代わりか? 安全性からはおおきな疑問。

Baby on Board

独りよがりの典型。このスティッカを貼った車の後につくと無性に腹が立つ。これを出すならせめて子供をチャイルドシートに縛り付けておけ。

SUVのバンパー(なくなった)

ゴルフ場

僻地の高速道路

雑草防止シート

雑草だって生きている。そんなやわではありません。シートの破れ目からどんどん生き返る。そのうちぼろぼろのシートの残骸が放置されるだけ。雑草殺すつもりで自然破壊。ばかなことを考える人がいるものだ。

原子力発電所(最悪の環境破壊システム)

日本での風力発電機(エコになっていない)