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私の履歴書(6) <ネパール>

ネパール事始

カタールのドーハに駐在中に昼食を買い求めにでた町のサンドウィッチ屋で、青年が日本語で話し掛けてきた。この土地で日本語を話す外人は珍しく、警戒をしながら、聞いてみたら、「日本人」の奥さんを持つネパール人で、労働者派遣斡旋業を営んでいるとのこと。これがPGさんとの初出会い、私には始めてのネパール人とのお付き合い。

カタールはインド人の人口と外人人口に占める比率が余りに多くなりすぎ、インド人の入国を制限す る政策を決定し、その隙間を狙って、ビジネス拡張のためにこの国にきていた。

私たちの天然ガスプラント建設はこの国のもっとも大きなプロジェクトで最大9000人の労働者を 外部から連れてくる必要があり、インド人の入国制限は大きな制約となっていた。しかし、労働者確保に責任のある建設グループを紹介したが良い結果にはならなった。しかしそれ以来仕事とは無関係に、PGさんとの個人的な付き合いが始まった。

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カタールのネパール人たち

PGさんは、私が単身赴任で、しかも大勢の人が一緒に住む建設現場のキャンプとは異なり、ドーハの事務所長の立派に邸宅に一人で住み遊び相手も少なくさびしがっていることを知り、ネパール航空のスチュワーデスを4人も連れてきて、バーで飲み交わす機会を作ってくれた。楽しかった。女性抜きで砂漠の建設現場で働いている、建設グループの人たちには知られたくないひとときである。その中の一人、大変美しいBさんは特にひときわ輝いており(先入観が邪魔していたために、最初Bさんに会った時にはネパール人だとは信じられなかった。多民族国家のネパールにはいろいろな顔かたちの美人が多い)息子の嫁にしてもいいくらいだと家族に電子メールを書いたら、家族のひんしゅくを買ってしまった。BさんのおとうさんがPGさんの派遣業を手伝いにドーハに来た折には、父娘を我が家に招待した。おとうさんはかつては有名なグルカ兵であった。Bさんの弟はアメリカの大学に留学してコンピュータを学んでいるとのこと。あの貧困にあえぐネパールにあって、子供がスチュワーデスやアメリカ留学とは相当裕福な資産家と見た。確かにこの弟にはアメリカの大学をベースとしたウェブサイトがあり、電子メールでのやり取りが始まった。

PGさんが土産にネパールのヒマラヤ観光の中心ポカラのフェア湖からヒマラヤの山並みを望む大パノラマ写真をくれたので、事務所に飾っていた。この写真の風景は大変魅力的であり、ポカラを是非訪れてみたいと考え、カタールから帰国はネパール経由にした。ちょうどドーハからネパールの首都カトマンズまではネパール航空の直行便がある。

帰国の数日前にネパール航空スチュワーデス全員で私の送別会をしてくれた。 Bさんの仲間で一緒に飲んだスチュワーデスの一人にSSさんがいる。私がカタールから直接カトマンズまで直行するのであれば、私的な荷物を家族の土産にしたいので、運んで欲しいとのこと。カタールでは普通に手に入るオーディオコンポのセットであるが正規にネパールに持ち込むと大変な関税がかかるので、私が旅行者の手回り品として持ち込んだことにして税金を逃れたいとのこと。安請け合いしてしまった。

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ネパール訪問

帰国便は誰が気を利かせてくれたのかファーストクラスの席が用意されており、一人だけ。しかも担当スチュワーデスはSSさんその人であった。

カトマンズまではいい気分でいたものの、カトマンズの空港では税関にとがめられ、なんとか言い逃 れを図ったが、敵もさるもの、「手回り品は一時お預かりして、ご出国時にお渡しします」と来た。「いやホテルで使いたい。」といったら、「それでは仮にお払いいただいた税金はご出国時に返金ではいかがでしょうか」と来た。結局結構な金額を払ってしまった。空港では先に帰国していたPGさんが待っていた 。空港の出口で待っていたSSの妹のシャルミラ・シャルマさんにコンポセットを手渡した。税金のことは話すまいと思っていたが、後で面倒があるといけないので、一応正直に話したがその金額はネパールの経済指標面からとてつもない高額であり、払ってもらうわけにはいかないのでプレゼントということにした。。

カトマンズではPGさんの親戚が大勢集まってレストランで盛大な歓迎会を開いてくれた。舞台での民族舞踊も面白かった。「日本人」の観光客もいて、記念写真に加わっていた。PGさんはネパールの名門グルン一族でありカトマンズでは結構な身分らしく、美人ダンサーが舞台から下りてきて、わざわざ私にお酌までしてくれ た。

翌日はカトマンズからポカラまでは飛行機が飛ばないことになってしまい、国道をワゴン車で行くこ とになった。子供達は民芸品の楽器を売っている。買ってくれば良かった。大変な険しい道ではあったが、街道筋は日本の昔の田んぼの風景を彷彿とさせる風景である。しかし農民の貧しさは、言い尽くせない。インフラの整備も進んでおらず、特に水道は各家庭には引き込まれておらず、道筋のところどころに設置されている共同水道を皆で利用している。貧しいけれど、人々の表情は和やかで美しい

カトマンズから約6時間でポカラに到着。ここは国際観光都市。

ホテルは大変立派なリゾートホテル。翌日の早朝はフェア湖で髪を洗う女性と後ろに朝日に輝くヒマラヤの名峰がつらなり、見事な三角形の Fish Tail が姿をあらわした。運良く、近くの有名な丘の頂上からプラカシュにもらったあのパノラマ写真通りのヒマラヤの勇壮な風景が望めた。丘の上のお茶屋さん少年達と記念写真

あとはお決まりの観光コース(食事、ダンス、買い物などなど)。カトマンズとはまた一味違ったポカラでの踊り。また美しい踊り手と記念写真

ポカラでは普通の観光客が誰もやらないことを二つをやってきた。

美しいダム湖であるフェア湖を中の島から約2Km離れたボート乗り場までパンツ一つで1時間余り掛かっ て泳いで渡った。観光客も地元の人たちもこの奇行に驚いていた。夜ホテルに来たネパール民族音楽の楽団に入れてもらってネパールの横笛を吹いた。ネパール独特のメロディはすぐに覚えて、あたかも楽団の一員のように見えた。われながら物好きだと思った。またとない良い思い出となった。

ホテルの女性従業員の二人の顔の違いはまさに他民族国家ネパールの象徴である。左はインド系統、右は中国チベット系統のいずれも大変美しいお二人。

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シャルミラ・シャルマさん

さて、カトマンズに戻りホテルに戻るとシャルミラさんから伝言があり、コンポの件でお礼がしたいとのこと。カトマンズ市内の日本食レストランに案内してもらい、シャルミラさんと弟さんとで天婦羅や日本料理。私も本当に久しぶりの日本食。そこでシャルミラさんは自分がジャーナリストであり、環境NGOの活動をしているこ とを紹介した。このNGOは日本国内の組織からも資金援助を得ていた。この組織はカトマンズの国立トリブヴァン大学内に本拠を置く、「ネパール環境教育開発センター」 "Center for Environmental and Educational Development" (CENEED)で、支援組織は京都大学にある、「セニード後援会」である。帰国後私もこの支援組織に加わった。

それ以後シャルミラさんは3度日本を訪問している。

  • 1999年京都で開催されたセニード後援会の年次総会

  • 2000年秋カトマンズ市長の姉妹都市鳥取県米子市訪問に同行

  • 2001年京都・大阪・神戸で開催されたシャルミラさんの写真展覧会

2000年秋の来日時には横浜まできてもらい、横浜の文化を見てもらう機会を得た。妻と 、妻の友人達に横浜を案内してもらい、大いに盛り上がったという。私達だけでなく、妻の友人達も 是非カトマンズへ来て欲しいとのこと。 シャルミラさんはネパールのとんでるキャリアウーマンだ。

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ネパール環境教育NGO

ネパールのNGO、「ネパール環境教育開発センター "Center for Environmental and Educational Development (CENEED)"」の活動を支援。 カトマンズのトリブヴァン大学付属自然史博物館構内に建設中のスワヤンブー環境公園は2001年春完成。 この公園を使って、子供達に、「ごみを捨てない、作らない。自然を生かす。」をテーマ に実践環境教育。

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ネパール・日本関係情報

ネパールに関する情報が日本列島内でどのように取り扱われているかをネパールの人々に伝えるための英語と日本語のウェブサイト「NepalNet over Japan」を運営している。このサイトはネパール最大のインターネットサイト「Nepal Home Page」(www.nepal-info.com)のトップ にある「General Information」ページからも直接リンクされて、ネパール人への貴重な情報源になっている。

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