トライアスロンで完全燃焼―堤外科医院院長堤貞一郎氏
1983年7月18日付け 日本経済新聞朝刊 24面

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日本は一昨年に初参加

梅雨があけ積乱雲が日ごとに高く昇り始めると、“鉄人たち”の血わき肉躍る「トライアスロン」の季節である。炎天下に遠泳、サイクリング、マラソンと半日から一日、ぶっ続けでひた走るこの競技。人間が耐えられる極限に挑むという意味で“鉄人レース”とも呼ばれる。今夏も二十七日に鳥取県・皆生(かいけ)温泉で三回目の国内大会が催され、これにかけては全国をリードすると自認する我ら熊本勢は、トレーニングの仕上げに余念がない。
トライアスロンは、五年前にハワイで水泳三・八キロ、自転車百八十キロ、そしてフルマラソン四十二・一九五キロのコースで十五人の選手が競い合い、十二人が完走したのが始まりだ。優勝タイムは十時間弱、遅い人はまる一日以上かかった。
日本からは一昨年の第四回大会に八人が初めて参加した。そのうちの一人が私である。当時五十七歳。全参加者三百八十六人中、二番目の年長だった。忘れもしない二月十四日午前七時、大砲の合図とともにハワイ島コナの海に飛び込んだ。
実は私はその一年前までは全くの金づち。医師としてジョギング健康法を実践し、人にも推奨していたものの、水にはついぞ縁がなく、トライアスロン挑戦を思い立ってから、急きょ特訓を受けたのだった。しかし、初老からの水泳練習はままならない。結局クロールはマスターできず、呼吸の容易な背泳で本番に臨んだ。
ところが、背泳では方向感覚がさっぱり分からず、パンツの間にはさんだバックミラーを時々出しながら修正を図るが、なかなかうまく進まない。二時間以上かかって折り返し点にたどりついたころには、トップ泳者はとっくに次の自転車にとりかかっているという始末だった。
自転車も大抵の選手はスマートなスポーツカーなのに、私のだけはクラシックハンドル。これも上位選手の倍以上の十二時間を要した。行けども行けども黒い溶岩砂漠の中の一本道。果てしなく青い海が広がり、やけつく太陽のもと、目もくらむほどに力の限りペダルをこぐ。終始“独走”の百八十キロだったが、中間点で出合った水平線上の真っ赤な夕日に、しばしペダルを踏むのを忘れて見入っていた。サイクリングの終了は深夜十二時であった。

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二十六時間かけて“完走”

次はいよいよマラソン。と言っても、すでにサイクリングで大きなマメを作ってしまい、走れないから歩くのみ。それでも「ここでダウンしちゃあ、熊本に帰れめえ」と、自分に言い聞かせるように歩を進め、ようやく全コースを走破したのは、翌日の午前九時。実に二十六時間を要した。
着順はびりから二番目だったが、ゴールインの際の「グレート・エルダー・ジャップ」の歓声は、今も耳に残って離れない。ハワイの観衆は、こんな鈍足ランナーをも待ってくれていたのだ。思えば、私の生涯で最も輝かしい瞬間であった。
ハワイ大会のあと、熊本から一緒に参加した永谷誠一氏(スポーツ店経営)と私は、町の話題を独占してしまった。そして、繁華街にある永谷氏の店に、同好の老若男女が集まってくるようになった。全国各地からもトライアスロンへの問い合わせが殺到し、熊本は、いつの間にか情報センターのようになっていた。
数カ月後、私が代表となって、「熊本クレージー・トライアスロン・クラブ」(熊本CTC)が発足。現在、会員六十五人を数える。うち、県外在住が東京、大阪、名古屋などを含め十四人。女性十一人。年齢は二十二歳から六十一歳まで。職業も会社員、公務員はもとより、教師、商店主、弁護士、医者、新聞記者、僧りょと様々だ。クロスカントリー走や自転車登山など、いろいろな工夫をこらした練習会を開くほか、毎月の会報で情報を交換し、激励し合っている。
さて一昨年、皆生温泉旅館組合から「国内でもトライアスロン大会を開催したい」との連絡を受け、私は要請に応じて現地を視察。コース設定や大会運営について助言した。白い砂浜の続く海岸は、ハワイをしのぐ立地条件だったが、「何かと気ぜわしい日本。遅い選手でも一日以内で完走できた方がよかろう」と、本場よりやや短い、水泳三キロ、自転車百三キロ、マラソン四十キロのコースに決まった。これでもトライアスロンのだいご味は十分味わえる距離である。

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熊本勢は質量とも全国一

皆生での国内初レースは同年八月。五十九選手のうち九人が熊本CTCのメンバーで、その一人、下津紀代志君が、フォーク歌手の高石ともやさんと手をつなぎながら最初にテープを切った。
昨年七月の第二回は百七人が参加し、わがクラブは十六人。八時間三十五分のタイムで優勝を飾ったのは、やはり仲間の田上栄一氏だった。しかも、やよい夫人とのペア出場による「おしどり賞」のおまけ付きである。さらに永谷氏と令嬢の美加さんも親子同時にゴールイン。熊本勢は質量ともに全国最高の地位を不動のものにした。
CTC連勝の原因は何といっても、選手層の厚さに加えて、豊富な練習量、緊密な連携による切磋琢磨(せっさたくま)の結果であろう。今度の第三回大会は、出場者が二百人以上にふえるようだが、CTCは三十五人。三連勝はまずかたいという下馬評だ。もちろん、余勢をかって、十月のハワイ大会にも大挙して押しかける計画である。
ところで、トライアスロンは、はた目には超人的な運動能力を要すると思われがちだが、それは誤解だ。むしろ私は、子供のころから体育がからっきし駄目で、何をやっても取り残されていたものだ。しかし、根気よく練習を積みさえすれば、だれでも完走は可能なのである。
私は二度目のハワイレースの際、百八十キロの自転車走行中、胸にメモリー心拍計を付けて測定したところ、毎分の心拍数はほとんど百三十以下だった。つまり、持久力の目安とされる最大酸素摂取量の六〇%以下で走っていたことになり、これは、「緩和な運動密度」と言えるのである。
最近のスポーツ医学によると、百メートル競走や重量挙げなど瞬間的に全力を使うアネロビクス運動(無酸素性運動)より、緩和で長時間のエアロビクス運動(有酸素性運動)の方が、心肺機能を増強し、糖尿病や狭心症、心筋こうそくなどを予防、健康、長寿につながることが明らかになっている。

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七十歳までは続けたい

トライアスロンの三種目は、いずれもエアロビクス運動の代表例といえ、活用する筋肉も、それぞれ異なり補完し合う。また長時間を要するため決して無理がきかず、のびのびとリラックスした境地になるのが精神衛生上も非常によい。
私は、これまで内外四度のレースに参加したが、成績はいつもビリかブービーだった。しかし、トライアスロンを愛する気持ちでは、だれにも負けないつもりだ。今後も七十歳ぐらいまでは続けたいと思っている。
太陽を友とし、海を友とし、風、緑、大地、そして夜のしじまを縫って走り続ける瞬間のすばらしさ。我が手、我が足、我が汗、ある限りの体力と気力を燃焼させる充実感の前には、順位やタイムは問題ではない。その充実感こそ、自分にとって壮大なロマンであり、生きているという実感そのものであり、生存の証明であるからである。

(つつみ・ていいちろう=堤外科医院院長)