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第2日(6月21日・火) フリムス(スイス)〜ザーネン(スイス) 234km
この日走る、フリムスからオーバーアルプ峠(Oberalppass)に至る道は昨年の夏に氷河特急の車窓から飽きずに眺めていたアルペン道路である。 途中のディセンティス(Disentis)の村は接続待ちのために列車から降りて駅の周りを約2時間散策し、近くの有名な修道院や教会を見物したので勝手知った土地である。ディセンティスを過ぎてまもなくルディさんから、「先へ行け」の指示がでた。ここからオーバーアルプ峠までの約20kmは自由走行である。たまたま先頭を走っていた私は、次の村セドゥルン(Sedrun)に差し掛かった時、前をゆっくりと走る車に追いついた。あまりに遅いので、手順通り合図をして、追い越しざまにこの車が突然左に曲がったために接触して私は道路の反対側に撥ね飛ばされ転倒してしまった。 幸い村の中のことでスピードも時速3,40キロ程度であり、オートバイが先に滑っていったために私は無傷であった。 後ろに続いていた仲間はその一部始終をすべて見ていたという。双方にけががないことを確認した。 ルディさんが私に「旅を続けられるか」と聞くので、「もちろん」と答えると、さっそくミュンヘンへ連絡して代車の手配をした。私は警察の車で今通って来たばかりディセンティスに戻り事情聴取を受けた。 これにはルディさんが通訳として同席し、調書を作成する若い警察官はパソコンにどんどん書き込んで行った。 アルコール検査では前日は一滴もアルコール飲料を飲んでいないので当然0.00mg/Lの結果であった。 警官が「どちらが悪いと思うか」と聞くので、「ウィンカも出さずに突然ぶつかってきた向こうが悪い」と証言し調書にも残した。 しかし、私が交通違反をしていなかったとは警察では断定できず、また私が外国からの旅行者であるので日本の反則金にあたるペナルティとして、最高限度額と考えられる750スイスフラン(約6万円)を預託するよう要求された。 便利なことにクレジットカードが使えた。スイスの警察は合理的である。 この預託金が全額戻ってくることを期待したい。 夫婦と小学生の男の子が乗っていた相手の車は奥さんが運転していたが、別の部屋で行われていた事情聴取の様子が伺えた。別れ際には、「双方ともけががまったくなくてよかった、私はこのまま旅を続けることができる」としょげかえる夫婦に気休めを言い、気持ちよく握手をして警察署をでた。ルディさんのパッセンジャーとなって事故現場に戻った時、道路の端に置かれた壊れた赤いR1150Rがさびしそうに二人を見送っていた。現場近くのカフェで待っていた仲間を3時間も待たせてしまったので、事故後初めて「Sorry」を連発して謝った。 彼らの最初の冗談は「日本人は小さいから怪我しないんだ。」であった。
ディセンティスの警察署はかの有名な修道院の真ん前にある。
ここから先、オーバーアルプ峠までは昨年の旅行で 一度見た風景ではあるが、パッセンジャーの特典でカメラを取り出し風景と仲間の走る姿を後部座席から撮りまくった。オーバーアルプ峠の手前ですれ違った特急列車の良い 写真がとれた。3時間もロスしたので、ランチは予定よりかなり手前のオーバーアルプ峠(Oberalppass
2044m)の駅のトンネル上のレストランとなった。ここでの食事・休憩中に、オーバーアルプ峠駅で行き違う列車が峠の駅に向かって湖に沿って走ってくる旅行案内書でおなじみの美しい景色をゆっくりと見ることができたのはけがの功名である。
オーバーアルプ峠からはかつて氷河の底だった広い谷を下る。峠から15km程のホスペンタール(Hospental)村から南へ折れるとサン・ゴッタールト峠を越えてイタリアへ抜ける昔の街道であるが、今はこの谷の深い地下を南北にアウトバーンのゴッタルードトンネル(Gotthard
Tunnel)が貫通しており、峠を越えるのは私たちのようなバイクツアー愛好者のみのようだ。私たちはゴッタールド峠へ向かわず直進して、厳しい様相の長い谷を約 20km上りきると明るくて広いフルカ峠(Furkapass
2436m)に到着する。フルカ峠は北海へ注ぐライン川流域とフランスを縦断して地中海へ注ぐローヌ川(Rhone)を分けるもう一つのヨーロッパアルプス大分水嶺である。
氷河の広い谷が終わり、九十九折が始まる地点にホテルとレストラン、カフェそれに土産物店があり、そのテラスからすぐ手に届くような距離でローヌ氷河(Rhone-gletscher)が展望できる。 ここから数分程歩けばこの氷河の先端部分の上まで行けるようだ。 この遥か下の方の谷底につながる一筋の道路の先の数軒の建物のあたりから、一本の道が右に分岐して厳しい山腹を九十九折で道路が登っていくのが見える。これはなかなかの景色である。この建物の場所はグレッチ(Gletsch)、すなわち「氷河」と名づけられた街道の大きな分岐点である。
グレッチからそのまま直進して谷を下るとイタリアとスイスをつなぐ世界最長の鉄道トンネルであるシンプロントンネルのスイス側の入り口であるブリッグ(Brig)に至る。多くの旅行者はブリッグ から南へ折れてシンプロン峠を越えてイタリアへ、あるいは直進してマルティ二を経てフランスへと続く。 われわれはグレッチから北へ折れて九十九折りを上りグリムゼル峠へ向かった。九十九折りを上る間は、ローヌ氷河の先端と先ほど下ってきた厳しい九十九折りを今度は反対方向から見上げることとなる。地球が温暖化しているから世界中の氷河は今どんどんとやせ細っている。かつてはグレッチの町も覆っていたこのローヌ氷河も先端がこんなに高い場所まで後退しているのがよく分かる。
グリムゼル峠(2165m)に向かう旅行者は少ない。この峠に至る道路は氷河の谷ではなく、山腹を切り開いてむりやり通した九 十九折りの厳しい道である。5分も走ると、突然氷の浮かんだ湖が現われる。湖に沿って走るうちにすでに峠は越え再び急勾配の九十九折りの道が始まる。 この峠の北側の急な斜面には二つのダムが作る湖がそれぞれ異なる色彩を映している。この水はアーレ川(Aare)となる。その新緑の林の中の静かな流れに沿う道は、東北の奥入瀬渓谷あるいは奥利根の照葉峡とそっくりでスイスにいることを忘れてしまう。
やがてベルナーオーバーラントへの玄関口であるインターラーケンを挟む二つの湖の一つブリエンツ湖(Brienzer
See)が目の前に広がる。ブリエンツ湖の北岸のブリエンツは昨年に私も楽しんだブリエンツロートホルン(Brienzer
Rothorn)へ登る蒸気機関車の登山列車が有名である。ここは日本の観光客が多く訪れるために駅前には日本人相手の土産物の店が建ち並び日本語の看板であふれているが、今回の仲間には日本人はいないので誰も目に入らないから、素通りである。インターラーケンを抜けて、トゥーン湖(Thuner
See)沿い に優雅なヨットやボートそれに水遊びをしている人達を横目に、湖に注ぐジンメ川(Simme)が作るジンメン渓谷(Zimmental)の街道へ入る。この街道は、ヨーロッパの屋根といわれる高い山々が連なるベルナー山塊の西の端の大分水嶺の低い峠を越えて、レマン湖(Le
Leman)からジュネーブへ至る。ライン流域最後の町である今日の宿泊地のザーネン(Saanen)のホテルには、意外に早く午後6時に到着した。
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