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1981年秋の永井宏さんを迎えての「PMPの新しいメサイア」の最初の練習は小田急玉川学園駅前の公民館だった。 初めての合唱団と初めて音を出すときの新しい指揮者の複雑な気持ちは押して量るに余りある。合唱団のメンバーにとっても。
私と中村俊一さんはこの新しい「PMPのメサイア」を聖オルバン教会のそれと同じように、キリスト教会で聴衆とともに歌い上げる「シングイン」形式にすることにこだわった。それは中村さんも私もヨーロッパとアメリカではどこの町でもクリスマスにはヘンデルのメサイアが信者や市民や音楽愛好家が教会で一緒に歌うシングインという形式で演奏されている事が多く行われているのを知っていたからである。
はたして、永井宏さん指揮によるPMPのはじめての「まちだメサイアシングイン」は、1981年12月、日本基督教団の原町田教会のアドベント(待降節)行事に組み入れられ、狭い教会の聖堂は聴衆があふれた。町フィルの指揮者の荒谷さんも、客席で大きな声でバスを歌っているのがよく見えた。 オーケストラと合唱とソリストの織りなすヘンデルの宗教音楽世界が再現され、また聴衆が合唱団と一緒に歌う、新しい演奏会の形式の試み「シングイン」コンサートがこの列島の地方都市でも見事に実現し、音楽好きも、教会の方々も、演奏するメンバーも幸せだった。人いきれの中で途中でついに停電となり一時ストップしてしまった。暖房の機械や教会の電気の容量を越えて閉まったからである。次の年からは容量をふやしてもらって、かつ重要度の低い電気器具を使わずなんとか、乗り切ってきた。以来、12月のクリスマス前(待降節)の町田メサイアシングインは町田市の音楽風物の一こまとなった。

1981年12月 第1回 町田メサイアシングイン 原町田教会

ソリストや演奏家には中村俊一さんの人脈を通じて、プロやセミプロの若手を登用した。 皆さんはすずめの涙にもたりない報酬にもかかわらず、「永井さんのメサイア」と「熱心なアマチュア音楽愛好家」の熱意によく応えてくれた。
これらの若者たちの中には今では一流の歌手や演奏家になっている人もいる。
思えば最初のオルガニストは今ではこの列島のオルガニストのリーダーである今井奈緒子さん。 第1回から参加しているテノールの辻秀幸さんは奥様のソプラノの佐竹由美さん共々、参加したプロの声楽家のとりまとめ役を兼ねて最初から終わりまで参加して支えてくれた。 辻さんは現在日本合唱連盟の重鎮である。 また、当時全く無名で学生気分のカウンターテナーの米良美一さんは、今は引っ張り凧でスター歌手のようになった。 練習のピアノ伴奏は、東京芸大楽理科の堤ゆりさんと青山学院の合唱団指揮者でありキリスト教牧師でもある渡辺善忠さんが引き受けてくれた。渡辺さんは本番では本職のオルガン、堤さんはチェンバロを担当した。当時の若い音楽家の卵が、現在音楽界の第一線で活躍する姿を見るのは感慨深い。
さて、いろいろなイベントは回を重ねていくと、継続することが目的化したり、長く続けていることがなにか素晴らしいことであると認識するのは意味がないので、この「まちだメサイアシングイン」はスタート時点から、「期間限定」とすることが私と中村さんのポリシーであった。関係者のご了解のもとに1999年暮れの第19回目をもって終了した。当初考えていたよりも長く続いた。
参加したのは、
指揮者の永井宏さん
PMP合唱団(メンバー不特定)
PMPオーケストラ(主に旧藤の台合奏団メンバーと町田フィルに所属する有志)
ソリスト(主に東京芸大の声楽科の卒業生)
オルガン・チェンバロ(第1,2回は今井奈緒子さん、その後、堤ゆりさん、渡辺善忠さん)
原町田教会(練習会場、演奏会場の提供、教会行事への組み込み)
東京古典楽器センター(全19回の演奏会でのチェンバロの提供)
マナオルゲルバウ 松崎譲二さん (ポジティフオルガンの提供)
会場の受付・整理・音場設定、録音と写真撮影の技師の方々
聴衆の皆さん
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