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他人行儀
暴風雨一過
次男からLINEで送られてきた見事な二重虹の画像
(横浜市青葉区)

日没直後の光芒

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午後5時46分 |

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いつもの夕暮れの富士山

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午後5時56分 |

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ゆうべ私が姪と電話しているのを聞いていたMがおかしい(「可笑しい」ではなく「変である」の意)という。 私の言葉使いが丁寧過ぎるという。 私は気が付かないがそうかもしれない。 「普通」の人は、後輩や「目下」、親しい人、同級生、児童たちに対してはいわゆる「常体語」(だよ、だろ、しようよ、等)でしゃべるが、私は誰とでも「丁寧語」(です、ですね、しましょう、等)でしゃべる。 それは他人行儀だから「トモダチ」ができないし、会社の同僚や部下だった人たちは煙たがって付き合いを避けたのだという。 しかし、私には「常体語」で話すことがどうしてもできない。 なぜだろうか。
スポーツ選手の多くが先輩
(年上だったり先に入団した人)
を必要以上に持ち上げたり、先輩が後輩を呼び捨てにするのは無意識の差別意識の表出であり「日本」独特の悪い「運動部体質」の一つだと思う。 我が家の前にある小学校の体育館で休日に練習しているミニバスケットの子供たちが、練習のあとコーチの前に整列して声を揃えて大きな声で「ハイッ」、「ハイッ」、そして最後に「アリガトーゴザイマシターッ」のシュプレヒコールを聞いてとてもいやな風景だと思った。 ある野球選手を取り上げた先ほどのBSテレビ番組では、監督がコーチを「お前」と呼び、コーチはすでに海外の球団に移籍しているこの選手を呼び捨てにする。 それを「秩序」だという人もいる。 一方、プロ将棋の世界ではベテラン棋士が高校生棋士に対して「さん」付けで敬語で話しかける。 対照的。 「日本の集団スポーツ」には未だに軍事教練の延長という誤った意識や習慣が深く残っていると思う。 また、私は野球、サッカー、バスケットボールなどのチームゲームが嫌いで、個人スポーツは受け入れたのにもなにかそんなことが影響しているのかもしれない。
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