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日暮綴り 2005年3月〜2005年5月 |
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オペラ「カルメル会修道女の対話」 2005年5月27日(金)
5月14日にいずみホール(大阪)でプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」が釜洞裕子のプロデュースによって演奏会形式で上演されたことが朝日新聞と日本経済新聞で異様に大きく取り上げられた。このオペラは1998年の松本でのサイトウキネンフェスティバルで小澤征爾さんが指揮して上演された。当時このフランス語のオペラは日本語の台詞が見つからなかったので人に頼まれて私が全部翻訳した。その後これを死蔵するのはもったいないのでウェブ形式にしてプーランクやオペラの愛好家に提供している。
いずみホールでの公演の日本語の台詞(せりふ、この場合は歌詞)はバリトン歌手の宮本益光さんが翻訳された。宮本さんからメールをいただき、同じ翻訳でもフランス語の台本をただ日本語に翻訳するのと違い、「歌う言葉」すなわち「歌詞」としての日本語への翻訳の難しさとご苦労を語られていた。
プーランクも、また「カルメル会修道女の会話」などの彼のオペラも一般にはほとんどよく知られていないが、これだけ大きく新聞紙上で紹介されたから、これを機会に人々の関心を呼ぶかもしれない。おなじオペラでもこのオペラは極めて暗くて重い。歌手の魅力だけ、あるいは有名な人が歌うからというだけのオペラは馬鹿馬鹿しいから見にいかないへそ曲りの私はこの暗くて重いオペラにはひきつけられた。
大阪での1回限りの公演とのことであるが、東京でももう一度上演する機会をもっていただきたいものだ。
権太坂の浮世絵 2005年5月4日(水)
4月30日に記載した東海道、程ヶ谷(保土ヶ谷)宿の「権太坂・境木立場あたり」は、有名な葛飾北斎の富嶽三十六景や名所図絵など江戸時代末期から明治維新前後にかけての浮世絵に盛んに描かれている。これらの浮世絵の多くは横浜市歴史博物館((財)横浜市ふるさと歴史財団 横浜市都築区)が所蔵しており、2001年10月に開催された企画展 東海道宿駅制度400記念「東海道と保土ヶ谷宿」でそれらを見る機会があった。それらの内から、東海道名所之内 権太坂 周麿 (丸鉄版) 文久3年 (1863) を掲載する。この絵をよく見ると、茶屋の幟の中に、この浮世絵の版元の「丸鉄」の一枚がちゃっかりと描かれている。絵師が気を利かせたのか、版元が絵師に指示したのか。すでに旅行・出版・宣伝広告を総合プロデュースする「るるぶ」や「まっぷる」と同じ仕組みが江戸時代に完成していた。このシリーズの他の絵も見てみたい。
また、日本郵便切手にも2回登場している。郵便切手をスキャンして映像ファイルを作成する行為は、もしかしたら偽札づくりなどを罰する法律で規制されているかもしれない。もっともこれから偽切手を作って今時これら 15円 と 40円 の切手を使ったり、蒐集家や切手業者を騙せるとも思えないが、一応「みほん」の文字を挿入しておいた。
平賀敏君傳 2005年5月2日(月)
明治30年(1897)頃、三井銀行名古屋支店で支配人・支店長であった平賀敏(さとし/びん)さんは、当時血気にはやる若者、かの小林一三さんを預けられて指導し、三井を退社後は多くの会社を経営し、小林一三さんが設立した阪急電鉄の社長も勤めた大実業家である。 その平賀敏さんが66歳にして実業界から身を引き始めた大正13年(1923)頃、その年に大阪実践商業を卒業した私の父は平賀敏さんの屋敷で住み込み書生をしていた。
後年、父は東京市の交通局に勤め数度応召した。 目黒の家を空襲で失い、私たち家族7人は戦後東京での生活が困難になり、平賀敏さんのご子息達のご好意で大阪に呼び寄せられ、ご兄弟の三家族が住まわれている豊中市の広大な邸宅地の一隅に借家を与えられた。 長男太郎さんご夫婦 (奥様の洲子さんは西郷隆盛の孫) は「ご本家」、三男の毅さんご一家の邸宅は東側にあったので「お東さん」、そして一番下の五男の貞愛さんご一家は「新宅さん」と呼ばれていた。 なお四男の練吉さんは若くブラジルに渡りトメアスで日本移民の指導的立場であられた。 私は「新宅さん」の長男、輝君と同い年であったので、ここに引っ越してきた時に、ご母堂のご配慮で輝君の通っていたキリスト教会付属の幼稚園に編入することができた。 私が1967(昭和42)年に大学を卒業し、20年間住んだ豊中を離れ、以来平賀さんご一家とは疎遠になっていた。 昨2004年11月に中学の還暦記念同窓会でこの文字通り竹馬の友である平賀輝君に再会し、また「新宅さん」を訪問して輝君の母堂 (商工大臣 俵孫一の次女) のお元気な姿に再会することができた。 奇しくも、私の兄、嶺紀が昨年冬に死亡し、高校の同窓会報にその死亡通知が掲載されているのを「新宅さん」のご長女が見つけられご丁寧な弔いの書状をいただいた。
懐かしさがこみあげ調べるうちに、昭和6年(1931)に刊行された「平賀敏君傳」をインターネットの古書センターで見つけたので早速購入し、私たち家族の恩人となる平賀敏さんとそのご一家の方々のお人となりを改めて知ることとなった。 私が子供の頃遊んだ「新宅さん」の応接間にも掲げられ見慣れていた平賀敏さんの肖像画がこの伝記の冒頭にも掲げられている。
ちなみに「傳」に挿入されている「平賀家系図」によると、平賀敏さんは清和源氏、源頼義(988-1075) の子、源義光(新羅三郎)の子、源(平賀)盛義を祖とする平賀家の第32代当主とあるので、ご長男太郎さんの養子となり平賀家を継いだ五男貞愛さんの長男である輝君が平賀家の第35代当主となる(のかな、家系・家督にまったく縁のない私としてはなんと申し上げたらよいか)。
参考文献
平賀敏君傳 平賀敏君傳記編纂会編 昭和6年 発行 同会 阪神急行電鉄二十五年史 阪急電鉄株式会社編 昭和7年 私の人生観(小林一三) 小林一三著 昭和27年 要書房 三井銀行80年史 三井銀行編 昭和32年 発行 三井銀行 株式会社阪急百貨店二十五年史 株式会社阪急百貨店編 昭和51年 逸翁自叙伝 小林一三著 昭和54年 発行 阪急電鉄株式会社 権太坂・境木立場あたり 2005年4月30日(日)
江戸から東海道を上って3日目の朝、賑やかな程ヶ谷の宿、新町を発ち、宿の西の端のさびれた元町をすぎるとすぐ山道に入り松並木の急な権太坂の上り道である。江戸を出て2日間の平坦で明るい海沿いの街道から一変するこの権太坂に一抹の不安を感ずる。初めて東海道を上る者にはこの先の長い旅の不安があらためてのしかかってくる。振り返ると昨日の夕刻に通ったうららかな朝日に映えきらきらと輝いている平沼が段々と視界から消えていく。坂の途中で一息入れて路傍の石に腰をかけて座って休む。まだ朝が早いのに昨夜戸塚の宿に泊まった江戸へ下る旅人が足早に降りてくる。私達より少し先に坂を上った旅人を乗せた籠かき達が鼻歌を歌いながら足早に駆け下りて戻ってくる。目で「もう少しだよ」と教えてくれる。まもなく茶屋の幟が見えてきた。突然目の前に大山の左肩を後から覗き込んでいる巨大な富士山が見えた。おととい泊まった川崎の宿に入る六郷の渡し舟の上からみた小さい富士山とはまるで違う神々しさで私達を睨んでいる。坂の頂きは境木が立つ。ここからは相模の国だ。汗をぬぐって、お姐さんに呼び込まれて茶屋で団子をいただく。さて出かけるかと腰を上げ先を行くとまもなく道の両側の立派な一里塚が頑張れよと見送ってくれる。今日はこれからしばらくは山道を通り戸塚の宿あたりで昼飯を食い今夜の泊まりの藤沢の宿まで富士山が見えつ隠れつ引っ張ってくれそうだ。
この権太坂、境木、一里塚(江戸ヨリ九里、京ヨリ百十一里)あたりは昭和に入り戦後しばらくの間、江戸時代の街道の面影を残していた。しかし1960年代に入り権太坂は保土ヶ谷バイパスで分断され、周囲には多くの住宅が建てられ一変した。光陵高校、権太坂小学校を過ぎるあたりから、坂はややゆるくなり、境木中学校にぶつかる三叉路(市バスの折り返し点)を右に曲がると狭くくねった道となる。まもなく右側に境木地蔵と呼ばれる寺がある。ここが武蔵・相模国境である。そこからやや左に曲がると狭い焼餅坂で今も車のすれ違いもできない程の狭い道で江戸時代の街道を思い起こさせる風情が残されている。その先に東海道では唯一両側とも原型のまま保存されている一里塚がある。その境木地蔵から焼餅坂へ入るあたりが周囲のマンションの計画に合わせて、この4月についに交差点が付け替えられ道路が拡張されて、ついに数百年ぶりの大変身を遂げてしまった。ここを車で通った人は境木地蔵前で旧東海道から外れて東戸塚に抜ける180度に曲がる狭い道のことを知っている。しかし今そこは巨大な三叉路に変ってしまった。残念。
プロフィール 2005年4月27日(水)
このところ義理でアマチュアの音楽グループの演奏会に行く機会が重なっている。義理で行く事は悪い事ではなく、私自身も合唱団におり、また恥ずかしながら稚拙な器楽アンサンブルの演奏会を催すこともあり、これには義理できて貰う必要もあるので持ちつ持たれつのお互い様である。 話題はそのような演奏会のプログラムに書かれている共演するプロと自認する音楽家達の「プロフィール」である。たいていは、どの音楽大学を出て、誰に師事して、どのような賞をとって、これまでどのような演奏活動をしてきたか、そして加えるにどのように評価されているかが書かれている。プログラムを見る人はたいていはその人を知らないから、「わー、すごい人なんだ」、「こんなすごい人の演奏が聞けてうれしい」などと反応するような仕掛けである。
が、ちょっと待て!
演奏会を企画・運営した人なら皆知っていることであるが、プログラムに書かれる出演者の「プロフィール」の文章は本人が主催者に持ち込むのである。 そこである最近聞いた合唱団の演奏会のプログラムから抜粋した次のプロフィールの文章を、本人が書いたものとの認識して読んでいただきたい。
女性歌手 HMさん (この人は特にひどい) 、、、に入賞し一躍脚光を浴びた。 、、、を披露し喝采を浴びた。 、、、を見事に演じて好評を博し、、、、新境地を拓く。 、、、その他、、、などを好演しており、最近では、、、ことが記憶に新しい。 コンサートでは、、、、に抜擢され、、、、 、、、、でソリストとして活躍。 透明度の高い美声と確かな技術に裏打ちされた歌唱により、、、、、各方面から注目を集めているソプラノである。
演出家 NHさん 、、、舞台の上に造形する手腕は類をみない。、、、は「高貴」とまで絶賛される。 、、、1万5千人収容するスペースで、、、野外公園にも成功。 、、、、洗練された演出で好評を博す。
TNCオーケストラ 、、、などで幅広く活躍。 、、、斬新な内容で高く評価されている。 、、、、その高い完成度は注目を集めている。 、、、分野でも特に評価が高く、、、 、、、ソリストからも、心からの絶賛の言葉が贈られている。
恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。 あたかも人が書いた様に見せかけて自分のことをここまで持ち上げて書いて人に見せるあつかましさはなんだろうか。こんなに「くさーい人々」の音楽など二度と聞きたくない。
さて、この200人を超える巨大合唱団の演奏はメンバーの音程がそろわず、そのために声が相互干渉して客席にはほとんど聞こえてこないという現象を起こした。人数が多すぎる。 またオペラのまねごとで、色とりどりのパーティ衣装をつけたモンゴロイドのおじいさんやおばさんがダンスもどきをする演出は学芸会を見るようでこれは恥ずかしく堪えられないものである。技術的に稚拙であるのは(自分のことを考えれば)仕方ないとしても、このような運営をして演奏会を企画する合唱団には好意をもてない。推測するにこれは音楽学校出の日の当らない歌手達が日本では当然オペラでは食べていけないので、自分達の欲求(オペラも歌い且つ合唱指導というアルバイトで日銭を稼ぐ)を満足させる為にアマチュアを引き込んで作った中途半端な合唱団と見受けた。
後日談: この合唱団に所属している友人から聞きました。悪いのは若い歌手たちではなく、このグループを主宰している偏屈なおばさん達だそうです。 タンデム 2005年4月23日(土)
この言葉を最初に聞いたのは、原子力工学を学んでいた大学の講義で「タンデム型粒子加速器」である。「加速器」は電子や荷電粒子さらに中性子を加速して物体と高速で衝突させてその反応から物体の正体を探ったり、こわーいこわーい核分裂を起こさせる技術的に大変高度で高価な代物である。タンデムは加速能力を高めるためにそれを直列につないだものである。タンデムとは縦ならびの二頭引きの馬車だと説明されたのを覚えている。 この言葉を2番目に聞いたのは、大学2年の夏にサイクリングクラブを作り、自転車旅行を楽しんでいた頃、二人が縦に並んでこぐ二人乗りの自転車のことである。旅行用以外にも自転車のトラック競技でも使われているので競輪ファンにはなじみの言葉であろう。 この言葉を3番目に聞いたのは、電池を二つ縦につなげることから電気の直列のことをそう呼ぶそうである。
この言葉を4番目に聞いたのは、オートバイの二人乗りのことである。これまでは私は絶対に口にしなかった「ニケツ」という言葉であったが、難解な外国語ながら無難な言葉に替わってやれやれ。その後で「ニケツ」は美しく「ニ結」と書くのだと聞かされた。私は一体どの文字を想像していたのだろうか。
行政の規制緩和でこの4月1日より、高速道路でのオートバイの二人乗り禁止が解かれた。オートバイ業界はこれを千載一遇のチャンスとして、またテレビなどのドラマやCFにも登場させて大型バイクや大型スクータの売り込み攻勢をかけている。1960-70年代はオートバイで売れに売れたが、今は若者からそっぽをむかれてオートバイ市場は冷え切っている。今年や来年は少しは売れても長続きはしないだろう。定年退職を迎える団塊の世代が手にした退職金の一部を使って若いときにできなかったオートバイ遊びの夢をかなえるために大型オートバイを購入して、、、、、というささやかな需要はあるがたいした経済効果はないだろう。
なにはともあれ、今日始めて妻を後に乗せて道志道をタンデムでバイクツーリングしてきた。保土ヶ谷バイパスは下川井から大渋滞で横浜町田インターチェンジに着いた時にはエンジンがオーバーヒートしてノッキングをし始めた。東名の下り車線も大渋滞のため仕方なく上り車線に入り最初の青葉インターチェンジで降りて津久井から道志道を行き、道の駅「どうし」で野菜を買って帰ってきた。山桜、桃の花、つつじ、それに新緑が美しい。
ヨーロッパ大分水嶺の峠を越える旅 2005年4月21日(木)
伊勢佐木町の有隣堂 に注文していたヨーロッパアルプスの道路地図が入荷したので購入した。同じ地域範囲とほぼ同じ縮尺のものが2種類 あったがその内、文字が大きくて、道路と国境がより明確な Hallwag International 社の 70万分の1の「Alpine Countries」を選んだ。1890円。それぞれの都市や地形の標記はそれぞれの国の言語(ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語など)での記載であるので、BMW社のカ タログに記載されているドイツ語での標記と合わないので苦労する。たとえばイタリアのトリノ(Torino)はドイツ語では Turin、ミラノ(Milano、英語では Milan)はMailandという具合である。
地図を広げて、BMW オートバイツアーの「アルプス峠越え7日間」のコースを追ってみた。 ミュンヘンからスイスのクール(Chur)へ至るチロル地方を通るコースは、オーストリアからスイスに入りイン(Inn/En)川を遡り、サンモリッツの手前ラヴィン(Lavin)から西に曲がり、黒海へそそぐドナウ川水域と北海へそそぐライン川水域を分けるヨーロッパ大分水嶺のフリュエラ峠(Fluelapass 2383m)を越えると、昨年の7月にサンモリッツから ツェルマットまで乗車した氷河特急が走るスイス国鉄に沿った素晴らしい山岳道路である。この車窓 から眺めて、いつかは走りたいと思っていたコースを早くも一年後の今年にバイクで再度走ることになったのは贅沢だ。美しい湖のある オーバーアルプ峠(Oberalppass 2044m)からは大分水嶺が複雑に入り組む山中のスステン峠、ゴッタールト峠、フルカ峠、グリムゼル峠を越えて(4つ も峠を越えるとかなり遠回りになるがまあいいか)、ライン川水域であり日本人観光客に占領されているベルナーオーバーラント地方に入り、左側に聳えるアイガー、メンヒ、ユングフラウの峰々を横目にインターラーケンへ。ブリエンツ湖とトゥーン湖畔の道は昨年バスで通った道。北海へそそぐライン水域と地中海へそそぐローヌ水域を隔てる小さな分水嶺を山越えでエーグル(Aigle)に出てローヌ川を遡りマルティニ(Martigny)へ。そこからまたスイス・イタリア国境の分水嶺(地中海にそそぐローヌ川の水域とアドリア海にそそぐポー川の水域)のグランサンベルナール(グランサンタベルナルド)峠(2469m)を越えてアオスタ(Aosta)へ。西へプチサンベルナール(ピッコロサンタベルナルド)峠を越えてフランスへ。スキー場で有名なヴァルディゼールを通り仏・伊国境沿いにフランスアルプス山中の多くの峠を越えてブリアンソン(Briancon)へ。東に転じて北イタリア自動車の町トリノ を抜け、北イタリア湖地方から再び東スイスのリゾート地 サンモリッツへ(ここは昨年来て泊まったところ)。またまた東へベルニナ峠を越えてイタリア、ボルミオ(Bormio)からまたウンブライル(Umbrail)峠を越えてスイス、またイタリア、オーストリア、チロル地方を抜けてドイツ・ミュンヘンへ戻る。
これは楽しそうなコースだ。
ヨーロッパの大河川、ドナウ、ライン、ローヌ、セーヌなどは運河で繋がれて巨大かつ複雑な交通ネットワークを構成している。その意味で「分水嶺」本来のありがたみが失われていることは確かだ。
フランス・ブリュッヘン 2005年4月17日(日)
音楽好きの友人に誘われて、彼の楽団が7月に開く演奏会で、テーレマンの「誠実な音楽マイスター」(通常「忠実な音楽の師」と呼ばれているが私には私が勝手につけた名前がある)の中の2本のブロックフレーテと通奏低音のトリオソナタ(イントロドゥツィオ ーネ) ハ長調(1728/9年 T42;C0.11)を演奏する機会が与えられたので、あらためてフランス・ブリュッヘンの演奏を聴き返している。
バロック音楽好きの人ならこのリコーダーの名手の名前を知らない人はいない。20世紀の後期になって復活されたこの古い17、 18世紀の楽器を自由自在にあやつってバロック音楽の楽しさを世界に知らしめた巨人である。若い内にベルギーの音楽大学の教授を務め、さらに多くのリコーダー、フラウト・トラヴェルソの演奏者を育てあげた教育者でもある。私にとっては神様のような存在でもある。彼が「18世紀オーケストラ」を編成して、自ら指揮して後期バロ ックから古典派のシンフォニーを新鮮な演奏でクラシック音楽ファンにしみついた垢を取り除いた功績も偉大である。こ れを真似して今世界では小型の室内オーケストラが多く生まれている。日本の鈴木兄弟の弟、チェリストの秀美さんが率いて、さかんにハイドンを演奏している「リベラ・クラシカ」もその一つである。
その神様がサントリーホールで新日本フィルを指揮してシューベルトのシンフォニーを演奏するのを見た(私には聴いたというより、見たの方が適切である)。多くのレコード、CDや雑誌などで紹介されている彼の若々しくも気概あふれる姿 は多くの人の脳裏に焼きついているが、今の彼は、残念、たどたどしく足を引きずって歩く弱々しいただのおじいさんの 姿であった。私の神様も一般の新日本フィルファンにとってはなじみのうすい外人指揮者ととられたのか、サントリーホールも空席がめだち、オーケストラもいまひとつ興が乗らないように目に映ったのは、私の先入 観のためか。今、また彼の全集を引っ張り出してトラヴェルソやリコーダー曲に聞き入っている。
ヨーロッパアルプス越えBMWバイクツアー 2005年4月14日(木)
数日前に思い立って、 BMWが主催しているBMWのオートバイを使った世界各地の旅行のプログラムからヨーロッパアルプス越え7日間に参加することに決め、電話で主催者に予約を取り昨日インターネットで申し込みをした。ミュンヘンのBMW本社を6月20日に出発して チロル、北イタリア、東フランス、スイス、南チロルを経由して26日にミュンヘンに戻るコースで20の峠を越える登り高さ2万メートルを超える総行程2400kmのバイクツアーである。
費用はBMW大型バイク レンタル、全食事、宿泊、保険付きで1560ユーロ(約22万円)。最初は妻と一緒にタンデム(二人乗り)のつもりであったが、このコースが結構きついカーブの連続とのことで、普段タンデムをしない私の技術では危険なので私単独での参加とした。
この旅の準備から実行 の過程をこの日暮綴りにも適宜書き留める。
まず、参加を希望する 日程に空があるかどうかは電話で問い合わせろとなっているので、久し振りに国際電話をかけた。国際電話は001でダイアルする方法から変更にされてしまっているのを知らなかった。新電電の参入で最初にKDDの識別番号010を回す。相手はドイツ人であるが、英語での会話は全く問題なし。すぐに私の希望する日程の空きが確認できた。念のため(当方にとっても相 手にとっても)私の名前を伝えて一両日中に申し込むことを伝える。
参加の申し込みはツアーカタログに添付されている用紙に規定事項を記入してドイツの主催者にファックスですることもできるが、今はインター ネットでオンラインでできるのでありがたい。自分のバイクを持参すると200ユーロ程度割引きなるが、当然レンタルであ る。現在使っているバイクのモデル(BMW R1150RT)を記入するようになっているから同じモデルの最新型(BMW R1200RT)を貸してもらえる可能性が高い。標準でパニア(両サイドの荷物入れケース)がついているのも良心的。 参加申し込み3日以内 に前払い金150ユーロを送金することになっているので、先程外為を扱っているみずほ銀行上大岡支店で送金の手続きをとった。窓口の若い女性は慣れていたのでスムーズにできた。私もうれしいので、「BMWのオートバイでヨーロッパのアルプス越えのツアーの前払いなんですよ」と余計なことを言ったら、彼女は「いいですねえ、素敵ですねー、BMWのマークには憧れています。ドイツは私も以前にロマンチック街道に行って感激しました」と。旅行代金の残額を送金するときはまたこの銀行で彼女を指名しよう。
さて、これから2ヶ月間、 伊豆・箱根でトレーニングに励まなくては。
カタ ール航空で行くトルコ10日間 2005年4月13日(水)
3月24日から4月2日まで カタール航空日本就航記念のトルコ10日間のパック旅行に行ってきた。全行程全食事付き一人89,800円の格安なのに内容は盛りだくさんでとても得した気分である。そもそも10年ほど前にアラビアの小国カタールの天然ガスプラント建設の業務で首都のドーハに住んでいたことからこの格安ツアーの広告につられて申し込んだものである。
全行程に同行したガイドは日本人より日本語が的確で、日本のコンテポラリー事情にもよく通じたトルコ人青年(36歳)のKさん。ガイドとしての知識や能力(はやりの言葉で「コンピタンシー」)は超一流で、めったに人を褒めることのない私も脱帽。
以前にウィーンの歴史博物館の特別展示でエフェソスの遺跡を知って、この遺跡とペルガモンの遺跡を見てはいるが、今回の旅行ではこの素晴らしいガイドのおかげで、これまであまり知らなかったこの地域(なにせ紀元前3000年の文化が残っている)や国(ビザンチン帝国、オスマン帝国とトルコ共和国)の歴史と自然に触れて、毎日毎日が知的ショックの連続であった。取り急ぎ撮ってきた写真の一部を掲載したのでご覧いただきたい。
モーガン・フリーマン(2) 2005年3月2日(水)
2004年度アカデミー賞でモーガン・フリーマンが Million Dollar Baby で助演男優賞 (Best Supporting Actor) を獲得したことを昨日記載し、2月5日付けで彼が 1989年度に Driving Miss Daisy でも助演男優賞を獲得したと記載したが、このホームページの熱心な読者の方から「モーガン・フリーマンのアカデミー賞受賞は初めてである」との指摘を受けたので、調査の結果次の通り訂正する。
第62回の1989年度アカデミー賞で作品賞 (Best Picture) の Driving Miss Daisy のジェシカ・タンディが主演女優賞 (Best Actress) を取り、モーガン・フリーマンは主演男優賞 (Best Actor) にノミネートされたが、受賞は My Left Foot の Daniel Day-Lewis である。ちなみに助演男優賞は Glory の Denzel Washington。
なお、モーガン・フリーマンはこの Driving Miss Daisy で 1989年度ゴールデングローブ賞男優賞を受賞している。
参考にしたサイトは
http://en.wikipedia.org/wiki/Academy_award
アカデミー賞大当たり 2005年3月1日(火)
昨日(現地時間一昨日)のアカデミー賞で「Million Dollar Baby」が作品賞、この映画のクリント・イーストウッドが監督賞、モーガン・フリーマンが助演男優賞、それに私の知らない女優が主演女優賞を獲得した。
いずれも2月5日の「日暮綴り」で私が取り上げた作品、監督、助演男優である。家でこの大当りを自慢をしたら、「映画を見もしないのに」と揶揄されたが我ながら満足である。ずっと以前の「Driving Miss Daisy」と同様、このようなやや地味な映画や監督、俳優が本場で最大評価されていることはいいことだ。大掛かりで事前売り込み型の派手派手映画が幅を利かせている昨今、ハリウッドは捨てたものではないぞ。ディカ某、宮崎某、「ざまあみろ」だ。
フルートの掃除 2005年2月28日(月)
アマチュアが使う普通のフルートは銀製か銀メッキを施した洋白製である。演奏中に内部は息の蒸気が結露して濡れ、また頭管部は結露だけでなく口から飛び出したつばや食べカスも残る。だから使用後には内部の水分や食べカスを良く拭き取り乾燥させてケースに収めないと臭いが残ったり銀が腐食して黒くなったりする。私の知っているフルート仲間の多くのフルートは汚い。その原因は拭き取りが不十分であるか、拭き取った後のスワブ(拭き取り用の布)をケースと一緒に保管してその湿気や食べカスが腐食させているためである。多くの人はスワブをその都度乾燥させずまた洗濯もせずに何回も再利用しているのでとてもきたなくまた臭い。なにより不潔である。そこで究極のフルート掃除の方法を紹介する。
薬局で日本薬局方の5mのガーゼを購入する。幅は25cmである。300円位。これを60cmの長さに切り分ける。これ以上短くても長くてもだめである。8枚採れる。20cm(約12円分)残るがこれをもったいないからといって最後の1枚を80cmにしたら長すぎて使い物にならないからいさぎよく捨てる。どうしても捨てきれないケチな人は65cmにしたら良いと思われるが筆者はまだ試していないので分らない。それぞれを半分に折り、25cm × 30cm のサイズの2枚重ねとする。 掃除棒の穴に折り目のある方の角を3cm通し、最初に棒の頭を布を被せ棒の下の方に向かって均一になるように巻きつける。ほぼ棒の長さ全体に巻きつくはずである。
三つのパーツを効果的に拭き取るために最初は水分のもっとも少ない足部管から始める。2,3回棒を往復し、かつ回転もかける。棒は入れた方の反対の口から抜き取ることが大切である。そうしないと折角拭いた内部が濡れた布で再度濡れてしまうからである。
次に本体管である。同じ布を巻いた棒をそのまま頭部管側から入れる。反対側には足部管とのジョイント管があり、こちら側から入れるとこれを痛める恐れがあるからである。棒を往復させながら挿入するとほぼ棒一杯まで入り、反対側に頭(棒の穴の開いた方)がわずかに出るので扁平の頭を指でつかんで回転しながら抜き取る。棒を入れた方からは絶対に抜いてはならない。もし注意深いのが好きであれば、足部管と本体管の掃除前と掃除中はトーンホール側を常に上に向けて行うと良い。これは内部にたまった水がトーンホールへ入るのを防止するためである。
さて、最後に一番難しい頭部管である。布の巻きなおしが必要である。すでに布のには足部管と本体管の水分を含んでいる、特に先に管の中に入る折り目側の方がより濡れているので、頭部管の掃除にはこの布のあまり濡れていない方、すなわち反対側(折り目ではない方)の角を掃除棒の穴に入れる。最初の巻き方にテクニックを要する。それは掃除棒の頭の先に約3cmほど飛び出したいわゆるパイオニア布巻きを作ることである。このパイオニアを作ったら、残りの布を頭部管はやや内径が大きいからやや太めに棒に巻きつける。棒の常に3cm先にパイオニア布部があるようにして先端を指で挿入し、先端が入ったら棒を回しながら、また往復させながら慎重に挿入する。パイオニア布が吹き口を通り過ぎ反射板に当るのを確認して、棒を少し押してパイオニア布が反射板を適切な圧力で接していることに注意しながら回転する。そして抜くときも回転させながら。さて覗き込むと反射板にはほんのわずかに吹き跡が残っているはずである。この方法では一回では完全に拭き取れないことが実証されている。そこでもったいないけれど新しい別の布をパイオニア式巻き法で用意した棒をもう一度挿入して同じように拭き取る。この布で管外部の吹き口の周囲も拭き取る。
これでガーゼの出番はおしまい。使用した2枚のガーゼはすぐに洗うのが望ましいが、地球環境問題に対応するために3回まで再使用することが許されているので、清掃後は広げて一晩乾かす。 次の使用後にはNo.3とNo.4のスワブを使用して順に使い回していく。順序を間違えないように使用後の乾かしたものを下の方に重ねてストックしておくと良い。合計8枚を2枚づつそれぞれ3回づつ使うと12回の掃除でこの1組8枚のスワブ群の使用期限が切れるので洗濯する。この組を10回洗濯したら廃棄して新しいガーゼを購入し新しい組を作る。
なお筆者のフルートは木製であり、内部に水がたまると材料が吸収して悪い影響がでるので、演奏中はこの掃除作業を30分毎に行っている。
腐食防止と清潔維持のために内部の清掃と乾燥の方法について述べたが、フルート外部のキー、ポスト、管体表面も常に清掃してよごれをつけておかないようにすることが肝要であることは言うまでもない。
ボトルワイン 2005年2月18日(金)
先日ホテルレストランでの合唱団の新年会のこと。ディナーでワインを注文するとボトルを出してくれたが栓がすでに抜かれて供された。「ははーん、入れ替えたな」。そもそそも「飲み放題」というディナーというのも恥ずかしい(これは当方の問題)が、飲み放題であればそれ相応の安ワインをキャンターに入れて「ハウスワインでございます」といって素直に出せば良いものを、使いまわしのボトルを使うなぞ最低の最低のサービス。日本の「ワインブーム」というのはこんなに貧しいものなのだ。ウェイターがタキシードに蝶ネクタイをしているのもこの程度のホテルでは不自然。そこまでしなければならない新興ホテルの営業努力も悲しすぎる。食事で出されたワインを「ああだ、こうだ」というのは、ヨーロッパ文化を猿真似て得意がっている醤油臭い「日本人」の心の貧しさが丸出し。ヨーロッパ式ディナーの時は食事やワイン以外の話題を取り上げるべし。
そもそも「料亭」、「レストラン」、「カフェ」、「バー」は「給食所」、「給酒所」ではないのだ。気持ち良く心置きなくその場を使うことにお金を払っているのであって、そこで供される食事や飲み物は、「ついでのもの」である。シェフがどうだこうだ、メニューがどうだこうだ、カクテルは どうだこうだ、なぞ二の次である。
かつて海外視察旅行団でその日の幹事会をフランスのリヨンで一番といわれるレストランで行ったことがある。そこのウェイターとウェイトレスの応対に感心したことは忘れられない。これぞ「レストラン」。
最近、この列島ではどこでも、本当にどこでも、順番待ちの名前を書かせておきながら「ヨメイ様どうぞ」、注文を受けて「以上でよろしいでしょうか」(ISO9001の要求事項の一つ「契約の確認」)、自分で注文をとっておきながら「ハンバーグはどちらの方でしょうか?」、そして、とんでもない日本語で「注文の品はおそろいでしょうか?」 (そんなことそっちが確認することだろうが、はいはい、「みなさんお揃い」ですよ)。
ウェイターとウェイトレスは接客のプロであり、客の注文を一度聞いたら頭で覚え、運んできた料理を間違いなく注文した人の前に、にこやかにお話しながら置き、そして進み具合を見て注文の次の品をタイミングよく出すのが本来の姿である。
「給食所」反対!!! 「給食所」断固粉砕!!!! ISO9001反対!!!
どんぶりのふた 2005年2月13日(日)
「使うときにいらず、使わないときいるものなあに」という「なぞかけ」があった。
昭和30年(1955年)代に発明された日清食品のチキンラーメンは売られ続けて50年、今見事に復活し再度人気商品になった。昔は四角かったのに今は丸くて卵を乗せるくぼみがついて、そのまま食べてもおいしいカリカリとした茶色い麺をどんぶりに入れてお湯を注ぎ、蓋をして、、、あれ「どんぶりの蓋」がない。皿で蓋すると外すとき皿の内側についた蒸気が食卓にこぼれて面白くない。昔のどんぶりは蓋とセットであった。チキンラーメンのためではなく、親子丼でもカツドンでも天丼でもうな丼でも具を載せたら食べる前につゆやたれを程よく具と飯になじませる「蒸らし」のために蓋は必需品である。食卓に出るときにも当然蓋がかぶされたたままで、蓋と本体の間から飛び出した尻尾が海老天の大きさを予感させて食べる前にひそかな楽しみがあった。尻尾が出ていなければ、蓋を開けなくても親子丼かカツ丼であることが分った(うな丼は匂いでわかる)。
しかし、しかし、昔あったはずのこの蓋とセットになったどんぶりがいつのまにか我が家から消えてなくなっていた。丼物は蓋がかぶされず「さっさと食べてください」と供されるが、汁が均一に飯になじまず、それでいて底の方がびしゃびしゃというのは味気なく損をしたような気分となる。
そこで、蓋つきのどんぶりを買いに出る。若い店員に「蓋付きのどんぶりはありますか」と聞くと「どんぶりの蓋なんて見たことも聞いたこともない」とつきはなされ、年輩の店員は親切に陳列を探してくれるものの置いていないことに気付き、「本当ですね、蓋つきどんぶりはどうしたのでしょうね」と驚く。焼き物の茨城県益子の大きな焼き物センターでも置いていなかった。どんぶりの蓋を日本の社会から消した主犯はこともあろうに丼を国民食(アメリカ人もブラジル人もよく食べるので「国民食」ではなく「人民食」か)に復活させた吉野家である。昨日の「1日復活牛丼」と9日のイベントは馬鹿馬鹿しいというかクレージーというかお見事というか、おかしなおかしなそして危うい「日本人」の典型。
さて「蓋付きどんぶり」である。探す事一年、ようやく食器専門店で一種類あり、さっそく2客を求めることができたが選ぶことができなかったのでデザインが今ひとつである。好みの「蓋付きどんぶり」の探索の手は緩めていない。すてきな蓋で蒸されればチキンラーメンだって小さい海老だって喜ぶはずである。
食器を表す時は平かなの「どんぶり」が似合い、食べ物を表すときは漢字の「丼」が似合う。日本語はおもしろい。「丼」という漢字は、この文字の形そのままで、物が井戸の中に落ちる音「タン」あるいは「トン」、日本語ですなわち「どぶん」や「どんぶり」である(大修館書店 新漢和辞典)。それがどうして「やや深い厚手の陶器の鉢」と「どんぶりに盛った飯」の意味に使われるようになったのかは辞書にのっていない。広辞苑の「どんぶり」、「丼」にはA「更紗・緞子などで作った、金などを入れる大きな袋、若い遊び人などが好んで使った」、B「職人などのつける腹がけの前かくし、金などを入れた」(すなわち、「エプロンのフロントポケット」。英語でないと分らないのはさびしいことだ)とある。「丼勘定」の語源はBであるが一説にはAとすると。
妙好人 2005年2月6日(日)
哲学を良く知る人は哲学者と呼ばれても必ずしも哲人ではないが、哲学を知らなくても哲人はいる。職業的僧侶や牧師は必ずしも宗教者ではないが、聖書や経典を知らなくても宗教者はいる。鈴木大拙の「妙好人」を読んで。(「鈴木大拙全集」第10巻 1970 岩波書店、「妙好人」 第2版 1976 法蔵館 )
モーガン・フリーマン 2005年2月5日(土)
ハリウッドのゴールデングローブ賞の授賞式をテレビで見た。今年のアメリカ映画に期待できそう。子供の時以来映画から全く離れてしまった私であるが、思い起こせば1989年アメリカの映画館で"Driving Miss Daisy"を見たその日の内に興奮して友人に電話で「大変すばらしい映画だった」と伝えたことがある。アメリカ南部でユダヤ人家族が営む綿糸工場を舞台にしたもので、殺し、暴力や性描写とは全く無縁の映画で、物語は先代の老未亡人とその息子、それに黒人老運転手(黒人であることが大きな前提である)の日常を描いた映画である。老未亡人をジェシカ・タンディ、運転手をモーガン・フリーマンが演じた。その年のアカデミー賞で、タンディは主演女優賞、フリーマンは助演男優賞をとった。私は今でもこの映画は最高の映画の一つだと思っている。さて、今年はクリント・イーストウッドが監督し自身も主演している "Million Dollar Baby" にフリーマンが助演している。是非見ることにする。
ブロードバンドの落とし穴 2005年2月5日(土)
Bフレッツなどの光ファイバーインターネットやIP電話は電話回線を使っていても中間にルーターやVDSL装置などの電気機器が存在するので停電すると使えない。普通の単純な電話機であれば停電でも通話ができるし、アナログダイアルアップ接続であれば内臓バッテリがついているノート型パソコンなら停電でもインターネット接続が維持できる。各社の広告や宣伝ではこのことに全く触れていない。NTTはより収益性のよいIP電話化へシフトしていくだろうが、広域災害では携帯電話が機能しないことが明らかなになったが、IP化すると広域停電した場合には電話も途絶してしまう。電話網のIP化には大きなリスクがある。少々暗いのは我慢できても、エアコンは言うまでもなくファン式の石油・ガスストーブは電気がないと使えなず給湯器も電気がないと使えないので寒いし、冷蔵庫は電気がないとタダの箱。電気・電子頼りは危険が一杯。
「北朝鮮」を応援しよう 2005年2月3日(木)
サッカーワールドカップのアジア最終予選の第1戦の「日本国チーム」と「朝鮮民主主義人民共和国チーム」との対戦は、私は「朝鮮民主主義人民共和国チーム」のサポーター席で「朝鮮民主主義人民共和国チーム」を応援をしたい。 かつてマスコミはこの国の縮めた呼び名の後に長い方の名前をとってつけたようにして使っていたが、最近はこの国家や体制を敵視したりそれに従う人々を蔑視する方が受けが良いので、また「みんなで渡れば怖くない」ので短い方だけを使うことが定着してしまった。寿限無のように長すぎるし実際の体制と矛盾するようで余りいただけないが、この長い方を使っても罰はあたらないと思うので使ってみた。いや罰が当るような気もする。
先の大戦の際の「"鬼畜米英"の過ち」も忘れて、この列島では今、「北朝鮮」の全てに対して総「敵視感」が覆っている。帝国主義国がしかけた朝鮮半島の北半分と南半分の地域を鋏んだ同じ民族同士の内戦は不幸にもまだ終っていない。日本国政府がこの北半分を支配する政治勢力やそこに住む人々をその国民として建前では認めていない(国連や多くの国では認めている)のにもかかわらず、当のこの政府もマスコミもさらに多くの人々がこの地域を独立国家、それも邪悪な国家として敵視して、その故にそこに住む人々や文化活動を国際社会から疎外したり敵視して排除しようとするというのは大きな誤りではないか。 「日本人」が「北朝鮮チーム」を応援してなぜ悪い? 「広島県人」が「巨人チーム」を応援してなぜ悪い?
「北朝鮮チーム」頑張れ!!! 「南朝鮮チーム」も頑張れ!!! 「ジーコジャパン」くたばれ!!!
ブログ(2) 2005年2月3日(木)
ベンチャラーの熊谷正寿氏が1991年にボイスメディアという名前(1995年にインターキューと改称)で立ち上げ、その後さらに発展してグローバルメディアオンライン(GMO)というグループを形成してインターネット事業を幅広く展開している。昨日紹介した坂根和佳さんのブログはこのGMOグループのヤープス(Yapeus)という会社が運営しているヤプログ(Yaplog) という名前の無料日記風ブログサイトである。
この Yaplog はユーザー登録をして会員になると、指定されたメールアドレスへ文章と写真を送ると、自動的に会員のブログURLのホームページに掲載される仕組みである。カテゴリーを設定してそれぞれのメールにカテゴリーを指定するとそのページは分類され、ログをリーダーが読み出す際にすばやく開ける仕組みもついている。最初に開いた時に「このブログは大阪ガスが無料で提供しています」というバナーが出たので、大阪ガスがサーバーを提供していると誤解したが、大阪ガスはスポンサー(広告主)にしか過ぎず、このブログを開ける都度別のスポンサーの広告が現れる仕掛けになっていることが本日分った。新しいITビジネスの典型である。今「ブログ」は「遊び」として面白半分で使われ始めたが、果たして今後どのような形で発展するか、あるいは別の「遊び」に取って代わられて撃沈されるか3年後の結果を楽しみにしよう。
仙人との会話:音律 2005年2月2日(水)
私と松村正文さんは同じ合唱団に所属して同じテノールを歌っている。私はバロック音楽のアンサンブルをやっており音律に関心が深いので、薀蓄話のついでに松村さんに「ドレミにはいろいろな種類があるのですよ」(松村さんが私より年長だから私が丁寧語でしゃべるというのではなくて、私は誰にも小学生にも野良猫にも丁寧語でしゃべる。そのため皆さんは私にも丁寧語でしゃべらざるを得なくなってしまうのを申し訳けなく思っている。妻と私が丁寧語でしゃべっているのを聞いた友人のご夫人やお嬢さん方はびっくりしていた。妻は「あの野良猫は"ゴハーン"と鳴くの」と言って自慢していたが、どっこい、私には"ゴハーンクダサーイ"と鳴く。)というと、松村さんは「お前はうそつきだ。」(彼は誰にでもざっくばらん語でしゃべる)と。これは嘘ではない(野良猫の話ではなく音律の話)ので、この際松村さんを驚かす必要性からやや大袈裟に、「全音には2種類あって、ドとレの全音とレとミの全音は幅は違う」、長3度と言っても分らないから「ドとミの幅は特に難物でピアノは正しくないのでピアノより低く歌う」、「高いシと低いシがあって使い分ける」などと言って刺激を与えた(いや、奉らせていただいた)。
私達夫婦の親しい友人である松村さんは駅で弁当を買うつもりで箱入りのゴーフルを買っても気にしないほどの達観の士で仙人と呼ばれている一方、私は「屁理屈も理屈だ」と言い張るので、二人の会話は奇想天外で第三者を唖然とさせる。 さて、この音律の話はこれからどう展開させていこうか。合唱では心で歌うのかそれとも頭で歌うのか?
ブログ 2005年2月2日(水)
スキー仲間の坂根和佳さんが作って知人に公開しているブログ(BLOG = Weblog)を見せていただいた。この坂根さんのブログは「他人が居て、自分が居る」をテーマとして、会社、テニス、合唱、友人関係など坂根さんの広い活躍の中で出会った人々の印象を写真と共に軽快なタッチで綴った日記で、坂根さんの人となりをにおわすほのぼの感のあふれるものである。
私のこのウェブサイトは自分でHTML言語でページを作ってアップロードし、コンテンツ発信だけの一方通行であるが、このブログは記事を電子メールで送信するだけで簡単にアップロードでき、各ページはカテゴリー化されて検索可能となり、さらにオーナーとリーダーとの会話が成り立つところが特徴と見受けた。
カービングスキー(2) 2005年2月1日(火)
今年発行された新しいスキー教本に従って「カービングスキー技術」の習得を八方尾根スキー場で実践した。なるほどスピードターン技術である。このゲレンデは、前開きのハの字にして大回転競技のようにこのスピードターン技術でかっ飛んでいく上級者ばかりで、かつては上級者の腕の見せ所であったヴェーデルンはすっかり影をひそめてしまった。また両足をぴったりくっつけて一本足のような「美しいパラレルスキー」をする人もほとんど見られない。
30年振りに訪れた八方尾根スキー場であるが、シーズン真っ只中の人気スキー場にも拘わらず、かつての賑わいがうそのような人の数の少なさに驚いた。レストランは小奇麗でメニューも豊富になっていた。
3日目に訪れた隣の岩岳スキー場は、リフト料金は八方尾根より安く、午前半日券では午後1時(八方は正午)まで滑れ、半日券にもシニア割引きあり(八方はなし)、そしてシニア適用年齢が50歳(八方は60歳)とすべて消費者有利になっている。差別化による営業改善策と思われる。
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