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日暮綴り

2004年12月2005年1月


ハンガリー音響学者 2005年1月27日(木)

 

友人で音響学者の中村俊一さんがハンガリーの建築音響学者のKAさんを東京のコンサートホールの調査に案内するのに同行した。KAさんはフランツ・リスト室内管弦楽団の日本公演旅行に同行して各地のホールを評価するために来日している。錦糸町のすみだトリフォニーホールと上野の東京芸術大学(芸大)の奏楽堂の2ヵ所を訪問した。

 

すみだトリフォニーホールでは演奏家からのフィードバックに基づくステージ上の天井から吊り下げられている反射板の数と位置の変更の経緯が話題であった。KAさんからステージがやや小ぶりだとの印象を述べるとホールのマネージャがこのステージには120人のオーケストラと200人の合唱団が同時に演奏できる答えたら、なるほど日本人は体が小さいからだなと冗談をとばすなどなごやかだった。予約なしの突然の訪問にも拘わらず、公的機関(墨田区)であるホール側の対応は意外にも大変親切なので妙に関心した。「芸大の音響の先生」と「ハンガリーの建築音響の権威者」の組み合わせがよかったのかも知れない。

 

JRの上野駅から上野公園の中を通って芸大までいく途中で、ホームレスの人々が多く住む公園内のブルーテント村を紹介した。このテント村はその住民により清掃が行き届いてごみひとつ落ちておらず極めて整然とし、住民達がゆったりと午後の紅茶と談話で楽しんでいる様子であった。ここの住民がホームレスになる理由、ホームレス者としての意識や生活環境、行政側の対応などについてKAさんはブダペストのそれとの違いを感じてしっかりとビデオ撮影して確認していた。私も調子に乗って、日本にはブダペストの温泉施設と同様、銭湯という伝統文化があって、ここの住民は毎日銭湯に通って、コンビニで買い物をし、近くのレストランで食事をし、また小説を著し出版するなど自由で優雅な生活を楽しんでいるのだと、法螺を吹いてしまった。

 

上野公園内に移設されている日本で最初の西洋式のコンサートホールである旧東京音楽学校奏楽堂(旧奏楽堂)は残念ながら公開の時間の終了間際で内部を見せる事ができなかった。

 

芸大の新奏楽堂は可変天井を持つ新しい立派なコンサートホールである。たまたまオルガン(ガルニエ社製)の調律作業中でホール内では会話ができなかったので彼らの専門的な話は窺えなかった。私は芸大が実施したこのホールの天井の変化による音響特性の変化と演奏者による評価に関する研究の論文作成のお手伝い(英文チェック)をしたこともあり、あらためて興味深く天井を見上げた。またこのガルニエオルガンは草野厚さんの「癒しの楽器 パイプオルガンと政治」(文芸春秋社刊)でその導入にかかわるややダーティな裏事情が紹介されたいわくつきの楽器である。

 

この後この大学の音響研究室を表敬訪問し、たまたまこの日行われた研究室の新年パーティに招かれて、飲みながら食べながら研究者、教員、学生達と懇談する機会を得た。楽理科の学生がKAさんにこの学科を英語で "Musicology"と紹介したが、この語では何を研究しているのかは伝わらず、さらに突っ込まれるとうまく説明できなかった。そして大学をでると何になるのかと質問されてやはり答えられなかったのが印象的である。日本の音楽界では「芸大楽理科卒」は他の音楽大学にはない学科でもあり、演奏家より一段上にいる音楽の権威者として一目おかれるが、西欧の社会ではよく理解されないのは分るような気がする。興が乗って、教員の一人がハンガリーに留学していたピアノの教員がいるといって電話で呼び出した。おっとりがたなで入ってきた一見30歳代とも見えるこのピアノ教員のWさんは即座にKAさんとハンガリー語でぺらぺらしゃべりだし皆びっくり。ご本人は「2年も居ればハンガリー語は話せるようになりますよ」と。パーティの後の帰途にKAさんが「Wさんは偉い人みたい」というので名刺を見たらなんとWさんは音楽学部の副学部長であった。確かに偉い人だ。

芸大の構内は研究室も食堂も通路も雑然として汚なすぎる。KAさんにこのことを指摘すると同感とのこと。万一火災にでもなったら国民の財産である施設や高価な楽器類、楽譜・資料類が露と消えてしまう恐れあり。公立大学は教職員と学生が、そのオーナーを意識することがなく、また閉鎖された社会であるという勝手な意識もあり、施設内をきれいに保つことを、「必要ではない事」、「つまらない事」だとするおかしな習慣があるらしい。

 

品川駅西口のUFJ銀行の若い女性の案内係は大変流暢な英語使いでとても親切だった。

品川プリンスホテルの新館ロビーはビュッフェレストランからの匂いが流れてきて臭い上、その入場の順番待ちの人が多く案内係が大きな声で「はい、何番から何番でお待ちの方どうぞ」と怒鳴っているのはいただけない。

 

ハンガリーのケータイ事情は「どこでもケータイ」と「着メロ」で日本と同じとのこと。

 


トーストのこだわり 2005年1月26日(水)

 

毎朝食は食パンのトースト1枚と卵(スクランブル)、ベーコン(札幌ハントヴェルク製)、コーヒー(珈琲問屋製)に限る。サラダが付いてもよい。

使用する食パンは近くのパン屋さん「パニーノ」の「上食パン」が世界最高の味であるのでこれに限る。

 

食パンの厚さは8枚切りに限る。

トースト中は裏表上下を入れ替えて全体が均一にキツネ色になるように注意深く焼き上げる。

マーガリンはCOOPの「遺伝子組み替えでないとうもろこし」の油から作ったものに限る。

マーガリンは容器の中味が偏らないように均一にかつ対称的に取り出す。

マーガリンは焼き上げたパンの表面にほんの少しの塗り残しも無いように均一に塗る。

トースターを使った後は中に残ったパン屑を完全に取り除き内部外部を磨きあげ常に新品同様とする。

電気コードの巻上げは慎重に行い、少しのねじれもあってはいけない。

 

なお使用している松下電器産業製自動トースター(品番NT-TA7 2001年製 製造番号11228)は金属部分に触れると必ず火傷をするので欠陥ではないかと考えている。「火傷に注意」のラベルが貼付してあるものの購入後3年6ヶ月の間に2名があわせて4回の火傷を負っている。

 


カービングスキー 2005年1月24日(月)

 

廣島スキー術習得の総仕上げとして1974年春のカナダでの遠征合宿を最後にアルペンスキーからは遠ざかり、1984年のフルマラソン完走後は一時クロスカントリースキーに浮気をしていた。その後一昨年の2003年冬に友人に誘われてスキー遊びを再開するにあたって、スキー技術がスキー構造の変化を伴って大きく変化していたことを知った。

 

廣島スキー術はスピードを重視しているので、より長いスキーを使うことが推奨され、身長170cmの私は210cmを使って雪をこね回していた。当時まだ生まれていなかったスノーボーダーであふれるスキー場でレンタルしたのは子供用と見紛う160cmの「カービングスキー」で、30年間のブランクにも拘わらず、すいすいと曲がれてしまうのに驚いた。この次の年に自分のスキーを購入すべくビクトリアで見たのは、当時は高値の花であった「フィッシャー」「ロシニョール」「フォルクル」「エラン」「アトミック」などのヨーロッパブランドばかり、それも驚くばかりの安い値段にまたびっくり。かつてSAJお墨付きの名スキー「小賀坂」を始めとする国産スキーはまったく影をひそめてしまった。

 

スキーはかつては木工技術の粋を極めた製品であった。ヤマハはピアノの木工技術とヨットやアーチェリーのグラスファイバー技術を駆使して高品質のスキーを生産していた。材料技術の発達で今はスキーはプラスティック、グラスファイバー、カーボン繊維をベースとする化学製品である。職人不要の工場における大量機械生産品で生産拠点もブランドとは関係ない国であろう。

 

さてこの新しい「カービングスキー」は曲がりやすいだけでなく、高速ターンが得意のより戦闘的な技術だそうだ。前落としによって加速して回転のきっかけをつくることなど廣島スキー術に通じるいくつかの共通点も見出した。文字通り老骨に鞭打って挑戦する。

 


基督抹殺論 2005年1月23日(日)

 

これはタイトルは物騒ではあるが、幸徳秋水が獄中で書いた宗教史(本人の弁)の遺著である。この「キリスト教社会主義を脱皮して科学的・戦闘的社会主義を確立するために書かれたキリスト教批判の書(帯書きより)」の全部は未だ読みきっていないのでこの著作の本題について云々するわけではないが、今日の午後、伊勢崎町の有隣堂で立ち読みしていたら、例の12月25日と冬至のことについて書かれた部分が目に止まり、我が意を得たりと感じたのでこれを買い求めたものである。もっともこれは常識だそうで、私がことさらはしゃぐことはないようだ。大逆事件で入獄の朝、キリスト教嫌いの彼が携えたふろしき包みの山のような書物の中に新旧約聖書が混じっているのを見つけた友人に「牢屋で一つ耶蘇の穴探しをしてやるのだ」と軽く笑ったそうである(同書のあとがきから)。

 

秋水曰く:(不本意ながら、旧仮名遣いと旧字体はそれぞれ新仮名遣いと新字体に書き直した。)

 

......基督の伝記中極めて重要なる事件が実に古代各種の太陽神話に共通の事件なるは吾人の最も注意すべき所なりとす。

蓋し太古の人民は驚嘆、崇拝の念を以て常に太陽の運行に注意せるの結果、早く既に太陽が冬季に於て南方の在り、春季に至って復り来ることを知り得たるの者の如し。彼等は太陽が12月21日に於て昼夜平分線を距る最南端の処に達し、此処に止まること3日の後ち、即ち12月25日に於て再び北に動くことを認めたり。古代の太陽教徒は、此3日の間日の神死して墓穴に在るに擬し25日に至りて初めて復活若しくば生誕し来るとなす者にして、此等太陽在す所の星座は十二宮中のヴヮーゴー即ち処女宮也。是れ日の神が処女より生まるという神話の起る所以也。

故に今の降誕祭(クリスマス)は、決してキリスト教に始まるにあらずして、上古以来諸国民が冬至に於て太陽の復活を祝せんが為に、常に行い来たれるの祭礼也。......

 


廣島英雄スキー術教程 2005年1月20日(木)

 

岩原では一緒に行った友人に私の学んだ「廣島英雄スキー術」教程の一部を語った。

 

私のスキー術の師である故廣島英雄氏は、昭和初期に猪谷六合雄氏、三浦敬三氏などと共にスキー選手として活躍したあと、白馬のシャンツェ(ジャンプ台)をはじめ日本各地のスキー場(レジャーおよび競技の両方)の整備に指導的な役割を果たした。後に大阪大学教授として体育教育に携わり、同時に自己の経験と信念に基づくスキー術とその教程を開発して著作や現地指導などによって多くの人々に伝え広めた。1970年に大阪大学を定年退官した後も、廣島スキー術を習得しこれに共感する有志により構成されている、「パラレルスキー研究会」(大阪大学OB)、「グリーンクラブ」(社会人)、「リズムスキー」(一般人)の各スキー愛好者団体に講師として招かれ80歳まで指導を続けた。

 

「廣島スキー」のモットーは「3S」、すなわち「スピード、安全、スマート」

 

廣島スキー術は、整備されたゲレンデを滑るだけなく、新雪、深雪、山の中、高山、アイスバーンなど、雪のある場所をどこでも、的確な技術を応用して、安全に、速く、美しく、かつ楽しく滑る技術である。その技術を習得する教程の特徴は全くの初心者に対してもスキーを平行にして両足をぴったりと付けて滑るパラレルスキーからスタートすることである。 他の多くのスキー教程では初心者は最初に「プルークボーゲン」から練習を開始するが、この方法で習得すると、中級、上級になっても、とっさの場合に無意識にスキーを開いてブレーキをかけたり足を広げて転倒することが多く、そのために足を骨折する可能性が高く危険である。またスキーがターンをするためにはスキー面と雪面との間にかかる力の動的(ダイナミック)な変化が重要な要素であるから、廣島スキー術教程では早い時点からそれを身体に覚えさせることに重点を置いている。

 

さらにスキー場の整備されたゲレンデを滑降する技術だけでなく、スラローム競技、滑降競技、各種ジャンプ(現在のモーグル競技やスノーボーディングの先取り)、クロスカントリー走、スケーティング技術、ピッケル、アイゼン、シールを併用した山岳スキー技術も取り入れている。

 

私が廣島スキー術を学んだ1970年代は、全日本スキー連盟(SAJ)が定めたスキー教程が唯一のもので各地で行われるバッジテストと絡めて全盛であったが、廣島スキー術はこのSAJの教程やバッジテストとは完全に一線を画したものであった。権威的で教条主義的なSAJ教程のトレーニングで育った指導員達の中には、私達の異様な雰囲気をかもし出していた独特のトレーニング風景を興味深く見守っる人たちがいたことが楽しい思い出である。

 

当時、私が習得した「廣島英雄スキー術」の教程を思い出しながら記録したので、関心ある方はこちらにどうぞ。

 


岩原スキー 2005年1月15日(土)

 

1年に1回だけスキーを共にする友人と今年は上越国境越後側の岩原(いわっぱら)スキー場に日帰りスキーに出かけた。このスキー場は歴史が極めて古く、大正時代からスキーをしていた私の両親がこのスキー場のことを話していたのを聞いている。東日本旅客鉄道の上越線の中里駅と越後湯沢駅との間に岩原スキー場前駅が冬の間だけ開業する。ここは戦後は進駐軍に接収されていたとこの友人の一人から聞いた。南向きの日当りのよいゲレンデは広くまた斜面もなだらかで、日本人は食べ物にも事欠きスキーどころではなかった当時は、進駐軍やその家族には格好のレクリエーション場所であっただろう。

 

前日まで降り続いた大雪が止み暖かくまずまずの天候でセーターで滑った。しかしながらスキー場の最も高い飯士山(いいじさん 1112m)頂上付近は南北に開けているので強い南風が通り抜けて地吹雪状態で、目をあけていられないほどであった。昨今はみな色とりどりの防寒・防風のスキーウェアを着て滑るのが当たり前であるが、私が40年前に使ったスキー教本に掲載されていた杉山進さんのセーター姿を格好良いと感じている。撮影された自分の姿はまずまず。

 

「のんのん湯」温泉で筋肉をほぐした後、湯沢駅前の「そば屋敷」という冬の間だけ開いている六日町に本店をもつ蕎麦屋さんで夕食。私は普段は、そばを食べず日本酒を嗜まないが、この店のメニューは「へぎそば」と天婦羅だけなので従う。地酒もふたつ「巻機山」と「鶴齢」。巻機山(まきはたさん 1967m)は上越国境の「日本100名山」の一つ。このあたりは中越地震では被害がほとんどなかったにも関わらず、この冬は温泉客、観光客、スキー客が極端に減少しているとのこと。

 

スキー場の看板には格好を付けでアルファベットで "Iwa-ppara" と表示してあるが、このハイフンのつけ方は間違いで、 "Iwap-para" と表示するべきである。「っ」の「pp」を、「岩」と「原」の両方に割り振る "Iwap-para" は、両方のパーツがそれぞれの文字の意味を維持して独立しても意味をなす。 なお歌詞にすると、 "Iwap" で1音、但し  "Iwap" の "p"は破裂させずに我慢し、次の "para" にはめ込んだ1音の最初で勢いよく、ひとつの "p"より勢いよく破裂させる。 この両音の間に短い休止符を入れるか、あるいは、"Iwap" をスタカートすると、正しい「いわっぱら」と、生き生きとした発音となる。 "Iwa-ppara" では「いわー」と伸びてしまいだらしなく、また、 "pp"で始まる音はないから発音できないし歌えない。

 


パナヴィジョン 2005年1月11日(火)

 

今日の朝刊にフジテレビの映画の全面広告に大きく Panavison というロゴが大書きされた映画撮影機が掲載されていた。あちこちのホームページで調べて次のことが分った。

 

  • Panavision Inc. は業務用映画撮影機のメーカーである。フジテレビの広告は Panaflex という35ミリ映画撮影機である。最近ソニーと提携して業務用ハイビジョンディジタル映画撮影機を売り出した。

  • IMAGICA (昔の東洋現像所か)が Panavision 社の日本代理店として業務用 Panavisionハイビジョンディジタル映画撮影機や撮影機材のレンタルをしている。

  • "Panavision" は1960年代から現在までアナモフィックレンズを使用して撮影された映画のことであるが、この映画のアスペクト比(画面の縦と横の長さの比)と同じワイドスクリーンもパナビジョンと呼ばれることがある。

 


餡蜜豆 2005年1月10日(月)

 

城ヶ島で買って来たテングサで「餡蜜豆」を作った。失敗した。

 

お店にはベージュ色の晒したものと、晒していない黒い天然のままのものが売られているが、香りと栄養面と自然食だからとお勧めの黒いものを買い求めた。120グラムで400円。よく見ると一つ一つのテングサは見事な赤色をしている。この約50グラムを、袋に入っていた「ところてんの作り方」に従って、2リットルの水で30分間弱火で煮出して、白い琺瑯のバット( Vat) にエキス液 (Extract) を流し込んだら赤紫色だった。熱を取り冷蔵庫で冷やして、さてと取り出したらよく固まっておらずやわらか過ぎる。それでも、折角だからと沖縄の黒糖を煮詰めて作った黒蜜と、買い求めたゆであずき(小倉)と缶詰の果物で、無理やりあんみつまめ、(実際には、豆が入っていないので、あんみつ)に仕上げて、さて一口。残念、海草の匂いがきつすぎてうまくない。次は晒したテングサでやってみよう。口直しに近くのスーパーで角寒天(例の四角い棒)を買って来た。

 


晒す 2005年1月10日(月)

 

「晒す」は「曝す」とも書き、もともとは、日光や風雨にあたるままにしておくことであるが、麻布や綿布を天日に晒して白くすることから、「白くする」、「漂白する」の意味によく使われる。「晒し」は白い綿布。高校の時、水泳部では晒しの六尺褌を使い、さらに気合いを入れるときはアカフン、「日本的精神」の名残り。 「晒し粉」は水に晒して白くした米粉と、もう一つは消石灰に塩素を吸収させて製した白色粉末(クロルカルキ、通称 カルキ、kalki はオランダ語で石灰のこと、だから、水道水の「カルキ臭い」は「クロル臭い」が正しい。) の漂白剤の両方に使われる。布を臼に入れて杵でついて白くした晒し布を作ることを「晒し搗き」という。へえーーー。 「晒し場」には布を晒す場所の他に、罪人の切り取った首を晒して見世物にする場所の両方がある。「晒して白くしたテングサ」とはどうやら天日に晒して(曝す)乾燥したテングサを漂白剤で白くした(晒す)らしい。順序は逆かもしれない。2回も晒された。

 

スーパーで買って来た角寒天は白いが「無漂白」と書いてあった。実測寸法は 3.9cm×3.8cm×26.2cm、重さは9.3グラム。長野県茅野市宮川製で「信州特産」。「信州のきれいな水と空気の中で厳しい寒さに晒して造られます。」「原材料名 天草 オゴ草」とある。これ一本を約500ミリリットルの水で煮るのが標準。

 


うんだい 2005年1月10

 

朝日新聞の夕刊に連載されていた、中国、台湾、香港、韓国における漢字の現状の連載は面白かった。中国の簡体字は「中国共産党の文字」との印象を与えている。韓国の大学生はこの国の正式国名である「大韓民國」を漢字で書けない。繁体字を使っている香港は返還後も旧文化を継承することが合意されているのに本土からの旅行客のために簡体字が使われ始めている。台湾では「繁」も「簡」もなくこれは正体字である、云々。

 

ところで日本の現状は、権威で凝り固まっている、かの日本芸術大学の当局者(職員、教員)と学生の一部が「日本うんじゅつ大学」、「うんだいせい」と呼ばれることを嫌って、「芸」の旧字体の「藝」を使う人が結構いる。別の文字である「うん」と読む本来の「芸」は香草の名、また黄ばむ、木の葉が枯れかけて黄色になること。

 

かつて、仕事で「水を濾す」設備、すなわち「濾過装置」に関わっていた。この「濾」という文字は、似たような偏の「盧」を使う「爐」の新字体が「炉」になり「蘆」が「芦」になったのに、「濾」は新字体は作られず、当時の当用漢字、現在の常用漢字にとりこまれなかった。 しかし、多くの人たちはこれを書くときには「炉」や「芦」に倣って「さんずいに戸」の字を使っている。このような文字は辞書にはないし、このMSIME辞書にもない。「濾」の字が常用漢字に入らなかったから、公的な文書や新聞では「ろ過」「ろ過装置」「ろ過器」と書かれる。おかしくない? 「おかみ」でなく「日本人民」が作った、耳偏に「云」や、「斗うぞー!!」や、言偏に「×に点をうった」文字などの60年代チューカク・カクマル式簡字体を見かけなくなってきたのはちと寂しい。

 

琺瑯 褌 搗 國 藝(芸) 濾 爐 蘆

 


アーカイブ 2005年1月9日(日)

 

半年ほど前にインドネシアの知人が「ソニーのMP3プレーヤ」を日本旅行の土産にしたいとのことであったが、ソニーは独自の Atrac という音楽ファイルフォーマットを使っているので、一般に広く普及しているMP3形式のファイルが使えないと教えてあげたら大変残念がっていた。そのソニーがついに白旗を揚げてMP3も使えるように路線を変更した。著作権を守るためとはいえ、売れなくてはしようがない。同じようにコピープロテクトしたCDも売れていないらしい。

 

電子媒体の種類とファイルフォーマットは次から次へと変っているが、これは大容量のデータを扱えるというメリットはあるものの、実は機器の買い替え需要を維持するためのものでもある。ホームビデオは、ほんのつい最近まで王者のように言われていた8ミリビデオはもはや市場から姿を消して MiniDV に変り、そして今盛んに DVD への乗り換えを迫っている。 この DVD も次世代 DVD が取りざたされており、使われる前から風前の灯火である。商品をを次から次への変更しなければ「市場経済」が成り立たないというのはバブルそのものであり、 Unsustainable development といわざるを得ない。

 

「データの長期保存」の目的と称して、写真やフィルム、そして商業映画ですらフィルムから電子フォーマットへの書き換えが行われて、実体文書、記録、フィルム、プリント類が廃棄されてつつあるが、これは極めて危険である。NHKは「アーカイブス」と称して磁気テープを別の電子フォーマットに書き換えているにすぎない。現行の電子フォーマットなぞ10年もすれば旧態化して、50年もしたらそのままでは再現できなくなる。その意味で、写真や映画のフィルムやプリント、そして電気がなくても再現できるアナログレコード盤そのものは、すくなくとも現行電子フォーマットよりは、なおより長期に保存できるので、究極のアーカイブ方式が実現するまでは、安易に廃棄すべきであはない。また、電気や電子に頼るのは危険である。白黒テレビの時代の映像はほとんどまともに残されていないのに、フィルムや乾板で残されている100年以上前の写真、数10年前の商業映画や16ミリフィルムの映像はもとより、ホーム8ミリ映画ですら今なお立派に再現できるが、これらの電子フォーマットに変換された記録は、このままでは50年もたないであろうし、200年後には20世紀後半から21世紀初頭は歴史の空白時代になる。子供を撮りためた8ミリビデオを今DVDに変換するのも大変だが、DVDにしたものは、いずれまた別のフォーマットに変換しなければならないし、変換作業を永遠に継続しない限り保存できない。

 

16ミリ映画の魅力は失せていない。銀座の Bolex の専門店を再訪してみようか。

 

アナログはアナクロか。

 

Ana- は  an- もそうであるが、「逆」、「反体」、「新しい」、「上」を表すギリシャ語系の接頭語

Analogous は ana + logos で 「類似の」「似ている」の意味

 

Anachronous は ana + khronos で 「反時代」すなわち「時代錯誤」

 

全日本空輸株式会社は果たしてANAであり得るか。

 

このアナクロの秘密が分った方はご一報ください。ささやかな景品をお送りします。J.S.バッハは景品をあげるなどと言わなかったから偉い。

 


曜日 2005年1月8日(土)

 

手帳とカレンダーを新しく購入するために横浜駅西口の大手文房具店で探した。しかし曜日のところが揃いも揃って英語で書いてある。物知りそうな中年(この語には年長のひびきがあるが私より若い)の店員に日本語のものを探してもらってようやく一つ見つかったら、これは和紙で作られた変に和風のもので、月の名前が睦月、如月となっている。おかしい(楽しくない方の意味)。

 

そんなに英語の曜日が好きなのであれば、それで本当に分るのかよ、スペルを間違わずに書けるのかよ、といいたくなる。今使っている古い腕時計の曜日の窓は日英のどちらでも表示できるので、これは当然日本語である。1字だからより見やすいし火曜日と木曜日を間違えることもない。

 

定年退職後は曜日感覚が極めて薄くなったことは確かである。いいことか、悪いことか?会社勤務をしていた37年間は、7日周期の「日曜日の午後は最悪、金曜日は最高」の繰り返しだった。それが業務に対する緊張感と責任感を維持させていた。今は毎日が緊張感と、言いたいところではあるが、、、、、、新しい手帳にはせいぜいたくさんの書き込みをしよう。

 

今日は Saturday。 ローマ神話の農耕の神、Saturnus に由来する。干支の戊と己に相当する。

 

Saturnalia は 古代ローマの農神祭、これは12月の収穫祭で冬至の祝い。奴隷が解放され大祝宴が催されたことから、英語の saturnalia は「お祭騒ぎ」「無礼講」「底抜け騒ぎ」「勝手放題」の意味。 a saturnalia of crime は 「したい放題の悪事」。

 

水曜日の Wednesday (ゲルマン神話 Wodan、北欧神話 Odin)はスペルも難しいが発音はなぜ?であったが、大勢の非日本人の方々とのお付き合いを通して、この語の発音が、英語が母国語の人々を含み一様ではないことに興味を覚えた。「ウェドゥネスダイ」と発音する人が多く(イギリス人でさえ: English ではなく British だが)、それでもコミュニケーションには困らない。中学生の諸君、恐れる無かれ。 One を「オネ」と発音しても笑う無かれ、「Uno」ウーノと同じだから、日本人には通じなくても非日本人の間では通じるぞ。

 


城ヶ島 2005年1月7日(金)

 

昨年の旅ではかなりの数の灯台に立ち寄ったので、その内から16の灯台の写真を集めて、12月の下旬に友人へ送った季節の挨拶の葉書でご案内した。また、このウェブサイトにも掲載した。

 

この葉書を作るにあたって、近くの灯台の写真が見つからなかったので、12月に観音崎灯台と伊豆半島の石廊崎灯台へ行き撮影をしてきた。また、三浦半島最南端のマグロ基地、三崎港と向き合う城ヶ島には釣やドライブで何度か訪れているが、この島の灯台は見たことがなかった。きょうはとても天気がよく暖かかったので思い立ってバイクで城ヶ島へ出かけてきた。

 

島の西側の城ヶ島灯台は歴史的な灯台であり、その説明書には次のように書かれている。

「城ヶ島灯台は、明治3年横須賀製鉄所首長フランス人のヴェルニ−によって日本で4番目の西洋式灯台として設置点灯されました。当時の煉瓦造円形、灯高基礎上5.76メートルの灯台は、大正12年9月1日の関東大震災により、灯塔・付属舎とも一瞬にして基礎から倒壊し、大正15年8月1日に改築されたのが現在の灯台です。」

 

一方の島の東側にはよく整備された公園があり、その先の安房崎(あわさき)の岩場の中に「安房崎灯台」が立っている。これは昔より無人の灯火標識だったようだ。この灯台の北方向に毘沙門湾を挟んで浦賀水道の入り口の難所であった剱崎(つるぎさき)の灯台が望める

 


心太 2005年1月7日(金)

 

城ヶ島灯台へ登る道の両側には土産物店が軒を連ねている。帰りに天草(テングサ)を一袋(約120グラム)買ってきた。宮崎美子さんの雰囲気の売り子さんと、寒天・心太(ところてん)作り、そして蓬(よもぎ)餅作りの話しに花を咲かせた。先日の葛餅に習い、甘い餡蜜豆を妻に作ってもらおうと頼んだら面倒だというので、自分でやる事にした。

 

「ところてん」を漢字で「心太」と書くとは知らなかった。「こころぶと」をココロテイと読んだものの転か(広辞苑)

 

「ところてん」のもう一つの漢字は漢語の「瓊脂」。「瓊」(ケイ・ギョウ・ギャウ)は「玉、特に赤い玉の意の古語、赤色の玉、美しい色の玉」。

 

広辞苑を読んでいたら「ところてん」はテングサから作るほかに寒天からも作るとある。「寒天Aテングサの粘質物を凍結・乾燥したゼラチン透明膜。」 5cm×5cm×20cmのサイズのほんの少しベージュが入った白色の、少し透明で、とても軽くて、中がすかすかの四角い棒だ。昔、母がこれを使って、みつまめ、あんみつ、砂糖菓子など、いろいろ作っていたことを思い出した。寒天がこの中間生成物の名前であると、私が「寒天」だと持っていたプヨプヨした食べ物の名前は何と言うのだろう。やっぱり寒天ではないのだろうか。そうするとところてんを寒天から作るという表現はちと違うのではないか。広辞苑ではこの二つの語(ところてん・寒天)の説明は不足していて、「Bそれを水で溶かして煮てそして冷やして固めたもの。みつをかけて食べる。」を追加する必要があるのではないか。しかし麺状の「ところてん」とみつまめに入っているサイコロ状の「寒天」が実は全く同じものであるとは気がつかなかった。

 

デジカメの撮像素子についたほこりが目立つようになってきたので、いよいよ清掃にださなくてはならないだろう。この汚れは、絞りの値によって画面への写り方が違う。ということは、ほこりは撮像素子そのものの表面ではなく、それより手前の離れた位置に、おそらくフィルターがあって、そこに付いていると思われる。

 

蓬 餡(前出) 瓊

 


世間 2005年1月6日(木)

 

阿部謹也さんの一般人向け著作によくでてくる「世間」について読み進むと、自分が見えてきた。

私の日常の言動から、周りの方々には自分は「へそまがり」だと「謙遜」したり「自虐めかし」ているが、阿部さんによると、どうも私の臍は曲がっていないようで、少し残念な気がする。

 

 


ふいご 2005年1月5日(水)

 

電動送風機と最新式の圧力制御装置とを有する最新式のパイプオルガンでも風の圧力と供給を安定するためにふいご(Bellows) はなくてはならない。「ふいご」の歴史は極めて古く、人類が火を使い始めてまもなく、火へ空気を送るために動物の内臓(胃だったと思う、いや膀胱かもしれない。膀胱の方が内圧に強いし空気漏れもないと思う)を今の風船のようにして使ったものである。15世紀までのオルガンは風の圧力と供給が不安定であったことが難点であったが、1570年にドイツ・ニュルンベルクのオルガンビルダー、Hans Lobsinger (この名字は「賛美歌歌手」という意味だ!おもしろーい )が可動部分に皮でつなぎあわせた木板を使い、皮部分を蝶番のようにすることによって、一気に改善された。(G. A. Audsley: The Art of Organ-Building, Vol. 1, pp 58) このふいごの構造は現代のパイプオルガンにもそのまま使われている、先人の素晴らしい発明の好例である。横浜の山手にある、フェリス女学院に最近設置された中型オルガンは、本体の横に大型のふいごがどかっと置かれている。このオルガンは電気がなくても人力で送風して演奏できると聞く。 また、ルネサンス・バロック古楽コンサートで、鍵盤横にちょっと斜めになった小さなふいごがついたポジティフオルガンを見かけることが多い。

 

今では、ふいご(鞴・韛・吹子)の単体を見る機会はほとんどないが、それでも荒物屋(この言葉ももなくなってしまいそう)の店頭で、巨大な浣腸のような形のゴム風船を板ではさんで先端に吹き口をつけた「ふいご」がつい最近まで売られていた。今度、東急ハンズで聞いてみよう。鍛治屋さんが使う「ところてん式」の送風機も「ふいご」であるが、当然これは Bellows を使っていないので英語ではやはり Blower で日本語の「ふいご」と同じである。アコーディオン、配管のフレキシブルジョイント、昔の蛇腹式カメラも Bellows だ。そうか Bellows には「蛇腹」という素晴らしい訳語があったのだ。Bellow はひとつでは用をなさないから、常に複数である。

 

鞴 韛

 


ナヴァホの笛 2005年1月4日(火)

 

テレビ番組で河合隼雄さんがアメリカ合衆国ニューメキシコ州内に自治国を構える先住民ナヴァホ(アルファベットではスペイン語綴りで "Navajo" と書いてあった)を訪問して人間精神と自然とを結ぶ笛の役割りを紹介していた。ヨーロッパからの移民による「西部開拓」時代に武力で陵辱され、破壊され、その後は「保護」の名のもとに幽閉された生活を強いられ、つい数十年前までは伝統の儀式を行う事まで禁止されていた。今(取材は2000年)でも失業率が60%という劣悪な環境の中で、形式化やビジネス化したものでない、心の奥深い部分で繋がっている、宗教・精神文化の伝統を守り続けていることの大切さを、専門家の立場から私達に問い掛けている。

 

紹介されたいろいろなナヴァホの笛の中に、バッグパイプのようにドローン(低音を持続的に鳴らす)をもったもの、そしてパイプオルガンのミクスチュアのように和音を奏でるものがあった。異常に直径の大きい笛は倍音の少ない素朴で純粋な音である。

 

移動のバスの中で、河合さんは愛用の木管フルート(ヘインズ製?)を吹いていた。

 

ラジオ放送で、ショスタコーヴィッチのオラトーリオ「森の歌」を聞く。昨年、みなとみらいホールでのコンサートでも聞いた。第二次世界大戦後ソヴィエトでの祖国植樹運動を進め、スターリンを称える壮大な合唱を伴う大曲である。ベートーヴェンの「第九」と同じ手法で、おどろおどろしい大きな音と巧みな言葉で人を鼓舞して動かす目的で作られたものである。今でも通用している手口である。吉田秀和さんの「最後は絶叫で終わります」との解説には笑ってしまった。

 


光ファイバーインターネット 2005年1月3日(月)

 

住んでいるマンション管理組合のIT委員会の委員長をしている。光ファイバーを利用したブロードバンドインターネット接続をこのマンションに導入するために、昨年11月に光ファイバー通信設備(FTTH)業者5社(日本電電(NTT),東京電力、国際電電(KDDI)、有線、ソフトバンク)に依頼していた現在の設備を調査した上での導入提案書が出揃った。東京電力は自社の光ファイバー網を使うのに対して、NTT以外の3社はいずれもNTTが敷設した光ファイバーを借用して使うことが分った。これを業界ではブラックワイヤと言っているらしい。

 

マンション内の配信方法はいずれも既存の電話線を利用するVDSL方式で全く同じである。設備上の違いは光ファイファイバーが専用か共用か、通信速度の若干の違い(最高100Mbps)である。しかしこれらの業者(FTTH業者)がみずからがインターネットサービスプロバイダ(ISP)である場合には、現在使用しているISPとの契約を変更することになり、従って電子メールアドレスやホームページのサーバーの変更が必要になる。

 

東京電力(TEPCOひかり)とNTT(Bフレッツ)は国内の主要なISPと提携してISPの変更は不要であるが、KDDIはDION、ソフトバンクはYahooBB、有線はSo-net のそれぞれがISPとなっている。

 

VDSL装置を設置するパネル(設備収納函)などすべての装置はFTTH業者の負担であるが、NTTだけは渋くて屋内型パネルなら負担するが屋外型パネルは顧客側負担であると。またKDDIだけはVDSL装置の電源を必ず電源盤からブレーカを通してとることを求めているのは技術的に見て妥当である。

 

1月中には業者を選定して、できるだけ早く導入して、私自身も現在のアナログダイヤルアップからブロードバンドに乗り換える予定。

 

光ファイバー導入の後は、管理組合運営の電子IT化と地上波ディジタル放送への対応が控えている。

 


吉野葛 2005年1月3日(月)

 

昨年、奈良県の吉野にバイク旅行した際に買って来てしばらくそのままにしておいた「吉野葛」を使って「葛餅」を作った。大変美しい真っ白い葛の粉のかたまりを水に溶いて作る自家餅は買って来たものより美味しい気がする。我が家では片栗粉で作る和食のあんかけ(餡掛)は本来「くずあん」を使う。

 

ワラビの茎や根を乾燥して粉にした蕨粉からつくったわらび餅もまたなつかしい食べ物。きな粉(黄粉:大豆を煎って碾いて粉にしたもの)や、米や麦を煎って碾いた"はったい(糗)粉、など穀類や草本を乾燥して粉にする技術は大昔の人の智恵である。

 

これらの古来の食に関する漢字を書く機会はほとんどない。せんべいは「煎餅」すなわち「煎った餅」だったのだ。(マックでは字が正しく表示されないかもしれない)

 

葛 餡 蕨 煎 碾 糗 

 


上越 2005年1月2日(日)

 

関東地方はおとといの午後から降り始めた雪で高速道路がまひするなか、もう一人の息子Cは一般道路で谷川岳天神平へ車でスノーボード遊びにでかけ今朝早く戻ってきた。天神平はやはり吹雪と低温でスキー客は少なく、ほとんど滑れなかった、と。天神平は若かった頃に会社の同期のS君と二人で夏スキーにでかけ、昨秋には夫婦でここを訪れている。ここは上越国境でもっとも標高が高く、季節風で日本海の水が最後に多量の落とされる厳しい土地である。

 

「上越」の「上」は上野だが、地震が起こった中越の中は、はて?新潟県には上越・中越・下越という表現があるが、この「上越」って「越後の上の方」の意味かな。 

 

上野(かみつけ)は上毛野(かみ・つ・けの)の略(こうづけ・カウヅケ、これも「こうずけ」と書きたくない。)。毛野(ケノ・ケヌ)は今の群馬県(上毛野)と栃木県(下毛野=シモ・ツ・ケノ)をあわせた国の名前であるが、この両国は、715年(霊亀1)に国の名前を2字とするという決定を受けて真ん中の「毛」の字を省いてそれぞれ、「上野」、「下野」となった。しかして「毛野」は「毛が無くなった」のに「ケ」は残り、一方「ノ」は音を失う代わりに字を残した。

 

一方の「越」の方は、現在の福井県敦賀から新潟県山北(さんぼく)までと能登半島・佐渡島・粟島を含む長い国であるが、8世紀の奈良時代にはすでに越前、越中、越後の三つの行政区分が確立されていた。1871年(明治10年)の廃藩置県(3府72県)後士族の反乱が起こり1890年(明治23年)には現在の都道府県割りと同じになった。

 

今日のキーワード

 

「ごぼう抜き」

 

昨秋の旅行で立ち寄った「道の駅」で売られているそれぞれの土地の農産物の中に、1メートル半の長さの真っ直ぐな見事な牛蒡を見つけた。どうやって抜き取るのか聞いたら、一気に抜くとのこと。一方やはり長い山芋は周りの土を丁寧に取り除いてとり出す。

 

「フダンの努力」

 

箱根駅伝の解説者が優勝した走者達の「普段の努力の賜物」と発言して奇妙だったので、広辞苑を調べたら「普段」の項はない。「不断」の項にAに「普段とも書く」平生、平常、とあった。しかし「努力」に付けるのはやはり「不断」@絶え間のないこと、であろう。

 


アンサンブル 2005年1月1日(土)

 

仕事が休みでやってきた息子Kがファゴットとアンサンブルしようと誘われたがさて共通の曲がない。通奏低音をやってくれればいいがそれでは面白くない、と。 リコーダとトラヴェルソではバロック音楽しか手持ちがないし、バロック以外のフルートとファゴットの曲なんて知らないし。ということは、私が、オーボエかクラリネットを吹けるようになるか、あるいはヴァイオリン、オーボエ、チェンバロ奏者を見つけるか、はたまたこのファゴット奏者がチェロを弾けるようになるか。そもそも私の家庭ではリコーダーが必須科目だったはずだが、誰もそれを果たしていない。一年前に大枚を叩いて買った、テノールとバスのリコーダーが泣いている。

 

たまたまビオラを弾く皇太子のアンサンブルがテレビで放映することを知って興味をもったが、スイッチを入れたときはちょうど演奏が終ったところで聞き逃してしまった。一緒に演奏した(名前は聞き逃したが超一流の)プロが、「これは(お金をとって聞かせる)コンサートではなく仲間と楽しむアンサンブル」というようなことを言っていたが同感である。

 

28日に石廊崎で出会った横浜市の中学校の教員のO.S.さんから電子メールをいただき、ご自身のホームページを見せて頂いた。O.S.さんは理科教育学の専門家でこのホームページには植物のこと動物のこと自然のことなどの話題が満載で、生徒だけでなく私達が今読むと大変興味をそそられる。旅先でのこういう出会いは「儲け物」である。O.S.さん、ありがとうございます。 またお会いしたいものです。

 

そういえば、これまでの私の人生を決定した人々の中には旅先で遭遇した方が多い。トライアスロンもネパールもプロジェクトマネジメントも。

 


ラスト・シンフォニー 2004年12月31日(金)

 

NHK音楽祭の番組「Last Symphony」でコンセルトヘボウのチャイコフスキーとチェコ・フィルとプラハフィル合唱団のベートーベン「第九」を視聴する。「第九」では合唱団メンバーが結構楽譜に目をとられていたがこれは自然のことで、逆に日本の合唱団の多くがあたりまえのように暗譜で「これに賭ける形相」で歌っているのがむしろ貧弱・滑稽に見える。かつて東京合唱団で日本フィルの「第九」を歌ったときに周りの若いメンバーが歌いながら興奮して涙を流しているを見て白けてしまったことがある。最近、石井宏氏の「反音楽史-さらばベートーヴェン(新潮社刊)」を読んで目から鱗という感を持った。この曲は、とかくある意図のもとに利用され、多くの人々がそれにうまく引っかかっていることは確かであるが、今日は久し振りに素直に聞くことができた。この合唱団はプロであると推測するがメンバーの平均年齢が高いのが気になる。チェコに駐在していたときにチェコフィルのジルヴェスターコンサートを聴きにいったことを思い出した。今夜はあちこちで「ジルベスター・コンサート」が開かれるが、いずれも「ものまね」と「悪ふざけ」でいただけない。

 


大津波 2004年12月30日(木)

 

小晦日 晦日(つごもり)は月が陰る(こもる)の意、しかるに今日の月齢は17日

スマトラ島近海地震とインド洋大津波は悲惨な災害をおよぼした。日本やアメリカなど地震と津波の先進国の機関が地震を感知した際に、すぐにでも津波の発生の警告をこれらの国々に対して出していたら、もう少しは被害が少なくなったのではないかと思い残念。テレビ放送でいち早く、「スマトラ島沖で地震が発生しました。この地震による津波の恐れはありません。」と速報していたのが強く印象に残っている。この国の政府やマスコミは日本列島とそこに住む日本人にしか視点が向けられていないのが現状である。

 

今日は昨日と一転して、また穏やかに晴れ上がった。27日に生まれた、姪の新生児の顔を見に金沢の病院へ妻と二人で行ってきた。紀宮の婚約発表記者会見の様子をテレビ放送で見る。事前に周到に準備されたいささか白ける発言をネタにまたマスコミ、週刊誌、テレビはまた一騒ぎすることだろう。双方の敬語の使い方に一興を覚える。

 


NHK受信障害 2004年12月29日(水)

 

初雪。 息子が大型のプラズマテレビを購入したので、今まで使っていた普通のテレビを娘のアパートへ運んでやった。どういうわけかNHKだけが受信できない。アパートのアンテナかブースターになにか仕込まれているのだろうか。そしてNHKとの受信契約をすると、その仕込みが解除されるようになっているのだろうか。

 


石廊崎灯台 2004年12月28日(火)

 

防寒ウェアのテストを兼ねてバイクで伊豆半島へ出かけ、石廊崎灯台と稲取岬灯台の写真を撮影してきた。石廊崎にあった植物公園は経営不振のためか閉鎖され設備は放置され荒れ放題になっていた。寒さを期待していたが予想に反して気温が低くならなかったのでテストにはならなかった。

 

撮影した写真の一部を灯台写真集に掲載した。

 


季節の挨拶 2004年12月25日(土)

 


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