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日暮綴り 2005年7月〜2005年12月 |
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650B 2005年12月22日(木)
大学1年生のとき、家で初めて買った内装変速機のついた軽快自転車で琵琶湖一周の旅行をし、大学2年の夏休みには高校の同窓で大学でも同級だったM君と紀伊半島一周のサイクリング旅行をした。 これをきっかけにして「サイクリング」に開眼し、家庭教師のアルバイトの給料から分割払いで本格的なサイクリング専用の自転車を購入した。 この自転車は大阪のサイクリング専門店である城東輪業社が販売していたワンダーフォーゲル号の中のランドナーという正統派の小旅行車である。 そしてこれを買ったお店「荒井サイクル」のお客さんを集めて、豊中サイクリングクラブを結成してその運営に携わった。当時はサイクリングブームで、小学生が競って「ドロップハンドル」のサイクリング車を親に買ってもらっていた。このクラブには小学生を中心として中・高・大学生、社会人まで幅広い世代の自転車好きが参加した。私はクラブランと呼ばれるグループ旅行や会合の企画・運営、会報誌の編集・発行、協会が主催する「指導者講習」などに携わるかたわら、西日本の各地を走り回っていた。当時はサイクリング関係の雑誌として、全国誌の「ニューサイクリング」と大阪の専門誌「旅とサイクリスト」が双璧で、サイクリストと一緒に「サイクリングの文化」を培っていた。
クラブの事務所となっていたこのお店にはTさんという老人がよく顔を出していたがクラブには入らず一人で自転車旅行を楽しんでいた。Tさんは、長距離旅行用の自転車に、650Bという規格の幅の広いタイアを付け、前後にパニアバッグをつけてパイプ煙草をくゆらせながら、常に一人であちこちをゆったりと走り回っていた。その姿は若いクラブメンバーにとっては羨望の英国式の理想のサイクリスト像であった。 それから40年たった今、その老人とほぼ同じ齢に達した今の私にはその英国式の「理想のサイクリスト像」が生き残っている。 昭和30年代のサイクリストの気持ちは累々とつながっている。
「サイクリングブーム」はこのときを頂点して衰退した。この列島には競輪という「自転車文化」があるのに、アマチュアの自転車競技はほんの一部の高校と大学だけの極めてマイナーなスポーツであった。それが1980年代にアメリカで生まれたマウンテンバイクのブームを通過して、その後は見るスポーツで触発されてイタリア・フランス式のロードレーサーのまね、そしてファッション重視のシティサイクルへと自転車乗りの形は幅が広がっている。一方、駅前放置と使い捨てを前提としたような低価格の「ママチャリ」なるものがスーパーで投売りされるなど「文化のない自転車」も日本中にあふれている。
その中にあって、この老人が愛した650Bタイアのゆったり長旅用の自転車と、そのようなゆったり英国式のサイクリストはほとんど目にする事がなくなってしまった。 クラブ時代に得た自転車競技の知識を活用して1980年ごろ運動不足解消のため本格的なロードレーサーを購入してアイアンマントライアスロンをはじめ多くのトライアスロン競技に参加した。 そのロードレーサーを組んでもらった自転車専門店が私が愛してやまない、横浜市保土ケ谷区の「ブルーウィートサイクル」である。ブルーウィートサイクルではどんな自転車でも注文すれば組み立ててもらえるから、サイクリング用の自転車を「また持ちたい」、「また走ってみたい」とは思うが、今は道路事情が悪すぎる。
「650B」というのは、公称 1-1/2インチ(英国式の数の数え方は12進法で小数点以下は半分、半分、またその半分と記載するので1.5と書いてはいけない)幅の26インチタイアのことである。Aはタイアの直径を表し、Bはタイアの幅を示す。今は国際標準(IS)で長さはメートル方式で表示されるのでこのタイアの幅は38mm である。 通常 584×20 のリムに 584×38 のタイアはめたものを 650A×38B といい、これを通称 650B と呼んでいる。 27インチタイアは 700 と呼ばれ、幅も 21mm 28mm 38mm などいろいろである。ちなみに昔からある普通の自転車は26インチで1-3/8インチ幅である。
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あっち向いてホイ 2005年12月15日(木)
「慣れ」ということは人の思考と行動に無意識のうちに働くから、あるときにひょいと気が付くと、恐ろしくもなり、また大切でもあることに気づいていたが、今日、一匹の灰色の野良ネコの動作によってそれを思い出したので、ここに書きとめる。
トイレに入って用を足す動作が慣れによって動かされていることに気が付いた。ドアを閉めている時に無意識で右手は早くも前のジッパーを下ろす作業に掛かっているのである。この慣れのために公衆便所(コンサートホールやパーキングエリアの「お手洗い」や「おトイレ」)で、並んだ小便器の内の選んだ便器の前に立つより早く右手がジッパーに掛かっているのに気が付いて愕然とした。もっとも意識的に小便器の前に立って、そして一息入れてから、次の動作に入るのも不自然である。 止まっているエスカレータに乗るとき、降りるときの不思議な感覚を経験した人がいると思うが、これも慣れの反作用である。これはヒトの平衡感覚に働いた慣れのためである。この平衡感覚の慣れは、近いところではエレベータの発進、停止に感ずる重力変化、さらにジェットコースター、もっと進めて宇宙ステーションにおける無重力状態など、慣れなければ死ぬ思いの恐怖感を抱く。だからエスカレータのない土地の人がこれを始めて使うときにまごついたり、タイミングが取れないのは当然である。 この慣れはヒトは生まれてからの生活を通じて無意識のうちに体が順応していく。無意識だからこそ上手く働くことが多い。体の衰えや障害によって日常の生活の動作が無意識には働かなくなったとき、一つづつ次の動作を考え、確かめつつ進めていくときの苦痛は推して知るべし。「なくなって知る親の有り難さ」ではないが、それに似ている。 このことを書いたきっかけは実は、気品があって人なつこくて灰色で美しい一匹の野良ネコが私の指した(「ゆびした」と読まないでほしい。「指差す」、「指指す」とも書くが「ゆびさした」はやはりこの漢字一つにしたい)方向を見ないことに私が腹を立てかけたからである。 「なぜ見ないのですか?(私は誰にでも、ネコにまで丁寧語でしゃべる) ああ、そうかあなたはネコだったのですね。 慣れていないのですね」。 例の「あっち向いてホイ」はヒトの慣れを逆手にとった遊びである。 これの上手い人は、躓いたときにぱっと足が前にでないで、ころぶぞ。
躓く 2005年12月15日
きょう「あっちむいてほい」で最後に「躓く」と書いていて思い出した。日本語の「新しい方の契約の書」のなかで「躓く」と訳されている重要な表現があるが、他の言葉の方が分かり易いと思うが。 私の少年時代には近くでは鶏を飼っている家もあり、朝になるとあちこちでその元気な声がするのを聞いてほのぼのとしたものを感じていたが、このピーターさんのケースの雄鶏の声は、ピーーンと張り詰めた空気を突き破るような声が似合う。J.S.バッハさんはその鳴き声を右の楽譜で表現している。日本語の歌詞であれば、「コケコーッコ」がこの音符の配列にぴったり合うのだが、それでは歌手も聴衆もオーケストラも吹き出してしまって、この緊迫した場面の音楽にはならないだろう。 こ
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六甲おろし 2005年12月8日(木)
12月5日の日本経済新聞朝刊の文化面の「交遊録」に、私と同じ大阪府豊中市の小学校を卒業した大日本住友製薬社長の宮武健次郎さんが六甲山にまつわる思い出の中で、母校の応援歌の歌いだしが「六甲おろしの冬の日も」だったと書かれている。「六甲おろし」は阪神タイガースの応援歌でなにかと知られるようになったが、私にとっては望郷のキーワードである。この母校の応援歌の歌詞は今だに忘れていないので再録する。
六甲おろしの冬の日も 金石(きんせき)溶かす夏の日も 栄えある歴史汚さじと 克明健児意気高し
応援歌としてはこれでは少し力がでないから、2行目と3行目の間にはもっと奮い立たす行動を要求する言葉の行があったかもしれない。確か2番もあったような気がするが、1番の出だしのインパクトのため残念ながら思い出せない。 「金石溶かす夏の日」というのはなんともすさまじい表現である。確かに豊中の冬の寒さと夏の暑さは今よりも厳しかった。衣服も立派になり冷暖房が整った中で生活している今の子供達にはこの歌詞は不可解であろう。 私は幼なかったから、この素晴らしい歌の意味はほとんど理解しておらず、「六甲おろし」を「大根おろし」、「金石溶かす」を「キンテキトンカツ」あるいは「○○トンカチ」と歌って囃したことを思い起こす。 豊中は六甲山系の東の大阪平野の北部にあたり、冬の寒風は六甲山と北摂の深い山々から吹き下りてくる。北摂の山々は住宅地として開発がかなり奥の方まで進んで子供の頃の田舎の風情は見る影もないが、最近訪れるたびに、昔を思い出してため息をついている。
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本州大分水嶺 2005年12月7日(水)
この日と次の日の2日間に綴った「分水嶺」についての日記に修正・訂正・追記した。 またこれまでの旅行で越えた峠や峰の写真を集めて別のページを作成した。
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市民合唱祭 2005年11月4日(金)
「市民合唱祭」や「区民合唱フェスティバル」というような催しに参加したり聞きにいったりする機会がある。この種の行事に参加するグループの多くが、自分たちでデザインした特注のステージドレスやスーツを着ての「晴れ舞台」であるが、それはまさに「ちんどん屋」大会の様相である。 「合唱」が目的で集まり、地域のささやかな催しで、たった数分間の演奏をするだけなのに、そんなことまでしたいという気持ちの貧弱さ。 残念ながら「百花繚乱」とはいかない。 ここでは日本のどこにでもある「地域の合唱グループ」の縮図がみられる。青年・壮年はおらず、あと10年はもたないと思われる年寄りばかりの男声陣と、「パワフルおばさん」ばかりの女声陣が、だみ声で、調子っぱずれで、つまらない歌を、嬉々として、また得意げに『合唱』し、入れ替わり立ち替わりステージに登場する。 「いい大人」がよくこのようなことを恥ずかしげもなくできるものだ。 この催しは参加者以外は誰も聞きに来ないことを主催者も知っているから自己満足はお互い様と、参加者は出演する時以外は最初から終わりまで客席にいなくてはならない「ルール」で、機械的な拍手を送る「総さくら」状態。 また、規定の時間を超えるとレッドカードが発行されるという馬鹿馬鹿しい「ルール」まで用意されている。 「市民合唱祭」とはこのようにお膳立てされ、発表会や演奏会を催す機会のない合唱グループが集まって、自己満足を心置きなく発散するために用意された閉鎖的で、まことにおかしく、また不思議な催しである。 これをわざわざ「文化の日」に開催するというのだから、これぞ「文化」だといいたげに。 思えば25年程前に、東京の町田市で第1回の「町田市民合唱祭」に私たちのバロック音楽のアンサンブルがヴィオラ・ダ・ガンバとリコーダの合奏と合唱でルネサンス音楽を、また第2回には室内管弦楽を組んでヘンデルのメサイアの中から「神の子羊」を持ち込んで出演したときには、主催者から「合唱祭のルール」違反だと指摘されたことがある。 どうやらこの種の催しは、音楽教育を受けたのにプロになれずしかたなく、あるいは昔の合唱ボーイの趣味が嵩じて、町のおじいさんやおばさんを相手に、「いいかげん」に「合唱指導」をして、そして「先生」、「先生」と祭り上げられ、だんだんいい気にになり、そしてその中から大きな顔をしている人達が、連盟だとか協会だとかを作って、その地域の合唱団グループをとりまとめる主導権を発揮したくなって始めるものだ。 だから「市民合唱祭」に、バロック音楽のアンサンブルがオーケストラをひっさげて参加してくるとは予想もせず、そして、恭しく参列して偉そうに参加グループの演奏に点をつける「講評者の先生方」も、「合唱」とはピアノ伴奏が当たり前だと考えているから、また、バロック音楽の知識も経験も技術も持ち合わせていないから面食らってしまったのだと思う。 また一方では、オーケストラと共演して大曲を歌うのが優れた合唱団だとして、このようなおじいさん・おばさん合唱団はもとより、小集団のアンサンブルや音楽全般には目もくれず、そのような大曲の演奏会への参加機会を追いかけてそれに次々と参加して得々とする「合唱フリーク」も、多くは独りよがりで柔軟性に乏しく、共演者にとっては迷惑である。「俺は第九を10回も歌った」とか「モツレク」「カルブラ」「クリオラ」などの隠語を使ってしたり顔をする人達である。
繚乱 |
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ボタニカルアート 2005年10月30日(土)
「植物の美術」と呼んでいるこれは、もともとは植物図鑑に掲載する植物の専門的な細密画のことであるが、今はもっぱら趣味としてカルチャーセンターでの人気講座のひとつになっている。勤めていた会社の親しい二人の同僚が図らずも同じ内城葉子さんという指導者についてそれぞれ別々に学んでいる。お二人のそれぞれのグループの展覧会でこのボタニカルアート作品を見るのは楽しい。細密画に描かれている植物は生き生きとして写真ではとても表現できない見事さである。趣味講座の生徒さんの作品は初心者とベテランの技術の差が大きく、その違いからも、この美術・技術の奥深さを感じる。描く対象が命が短く刻々と姿を変えていく花卉で、その形と色と表情を細かく細かく捉えて絵画として表現していく作業であるが、ゆっくりと日時をかけて描くこともできないので、相当な集中力が必要である事が想像できる。どの作品からも作者の気概がひしひしと伝わってくる。
花卉(かき) |
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故障・修理4件 2005年10月29日(土)
ホンダの小型乗用車フィットが発進する際に道路の凹凸(おうとつ)を拾うような振動がでる。(横浜の大岡川沿いの)鎌倉街道の清水橋のホンダベルノで点検してもらったら、変速機(CVT式の無段トランスミッション)のオイルの劣化だと診断されて、「特別サービス」で無料で交換してくれた。しかし、1000kmも走らないうちに同じ症状がでたので(トランス)ミッションオイルの劣化が原因ではないことが明らかであるので再度持ち込んだら、また無料でオイルを交換してしばらく症状を見てくれとのこと。さらに300kmも走らないのに同じ症状がでている。どうやらこの新しい無段変速機そのものに問題があるようだ。 それを2度もオイルの交換でお茶を濁すのは、対応に問題ありと考える。
ソニーのMDウォークマン(MZ-R909)が録音中に停止してしまう。桜木町のソニーサービスセンターに持ち込んだら、モーターがだめになっているので取替えが必要で8,000円掛かるとのこと。修理が終えたものの明細を見たらほとんどの部品が交換されていた。どうやら新品の機械にもともとの外側のパネルだけを取り付けたようである。この8,000円というのはこの金額帯の製品の全修理の定価のようである。部品代や修理技術料ではなく受付とサービススタッフの固定人件費とセンターを維持するための固定経費であろう。
ホンダのスクータ、スペーシー125が町田の菅原神社前で突然エンストした。バッテリー上がりである事には気が付いたが、普通に走行中なのにバッテリー切れはおかしい。JAFを呼んで調べたら発電していないことが分かった。すでにバッテリーは空っぽであるのでたとえ充電しても、発電されないのであれば以後の走行は不可能である。別のJAFのトラックで近くのホンダ販売店まで運んで修理をお願いした。結局発電機と整流器の両方とも交換で3万円掛かった。発電機はブラシが磨耗して故障することはあるが全交換まで必要かなとは思ったが、ぐっとこらえた。なお、2度も出動したJAFは無料で有り難かった。
ニコンのデジタル一眼レフカメラ、D70 が突然電源が入らず、それでもと、CFカードを入れるとアクセスランプが点滅してお手上げとなった。銀座のニコンサービスセンターに持ち込んで修理を依頼したら、受付の担当者が即座に小さな声で「生産過程での不具合です」と。車ならリコールの対象間違いないので当然無料で修理して宅配便で戻してくれることになった。
3社とも日本が世界に誇るメーカーである。スクータのケースを除き、いずれも新製品開発や設計、製造の過程での無理があるように思える。 |
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GSエクスクルーシブ 2005年10月27日(木)
パソコンの電子音楽のシーケンサーソフト(Passport社の Master Tracks Pro 6)でMIDIファイルを作って音色指定を GM (General MIDI) の Grand Piano (Program Change #1) を指定してヤマハの電子ピアノ、クラヴィノーバ(CLP-170)で演奏させると、この楽器の売りである、内蔵音源(パネル音色)がもっている深いグランドピアノの音色はでない。付録で付いてきたサンプル曲のファイルをシーケンサーソフトで開いて頭の部分のヤマハのGSエクスプルーシブをコピーして貼り付けてもだめだった。取り扱い説明書を繰り返し読んでようやく、オリジナルのMIDIファイルをクラヴィノーバで「音色を変更して録音し直す」ことで解決した。しかしながらどういうわけか設定した Main Volume (Control Change #7) がトラック 1 だけは最大の 127 に変更されてしまっているので、この録音済みの新しいファイルを再度シーケンサソフトで編集して、元の数値に戻さなくてはならない。他のパラメータも変わっている可能性もあるが、今は合唱の新しい曲(バッハのロ短調ミサ曲・マタイ受難曲とモーツァルトのミサ曲)の練習に時間をとられているので後回しとする。 |
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町内会役員と環境行政機関が町を汚くしている 2005年8月8日(月) 久しぶりに井土ヶ谷駅まで歩いた。ここは南区。通りのあちこちに資源・ごみの集積場所があるが、その近くの電柱には、いろいろなビラが町内会役員と環境事業局(現資源循環局)によって張り出されている。 しかしそれらの多くが、数ヶ月の間、ひどいものでは1年以上も更新されず放置されて、そのきたないこと甚だしく、町の景観を著しく損ねている。 「ビラ」や「看板」を掲出する立場の側は一所懸命やっていることは理解できるが、そのデザイン、色使い、材料、掲出方法やさらにその管理について気を使っていることが少ない。 「ビラ」と「看板」は出した時は目を引くが、1週間たち1ヶ月経つと、風景に同化して、普段いつもそこを通る人には見えなくなるものである。効果はすでに失せている。また、住民は慣れてしまって汚いことに気が付かないのである。 いやだ。 いやだ。 |
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住民自治会・マンネリからの脱却 2005年7月13日(水)
5月下旬。住んでいるマンションに光ファイバーインターネット設備を導入する件について、マンション管理組合のIT委員会の委員長としてその調査結果と理事会への答申結果を説明するために、久しぶりに管理組合の総会に出席した。こちらの方はなんなく済んだ。 管理組合総会に引き続き行われる町内会にあたる「自治会」の総会にもなんとなく出席した。自治会の運営のマンネリぶりはうすうすとは承知していたが、よせばいいのに(妻の言)発言を求め、そのマンネリぶりを批判し、行政機関のPR機能や下請け、旧態已然とした連合自治会組織の手先、また前例の繰り返しなどではなく、住民自治の原則に則った積極的かつ自主的な自治会運営をするようにと大改革の必要性を訴えた。次期役員についてはすでに根回しも済んですでにご本人達も出席して議決に備えていた。気が付くと、私は「どうして公示して候補者を募らなかったのか。役員の持ち回りはおかしいではないか。立候補はすでに締め切ったとは思えない。この総会でも立候補を受け付けるべきだ。」とチョー過激な発言をしていた。 ひな壇に並ぶ議長さんと現役員さん、それに会場のご婦人方がうろたえた。 そこまで言ったのだから当然次期会長を引き受けざるを得ない。というよりは「自ら会長になった」というのが正しい。会場に訴えて自ら役員をやる意思のある人を募ったら、なんと3人も集まった。捨てたものではない。「会長の自治」会、「役員の自治」会ではなく「住民の自治」会へ少しでも近づくように心して働くべし。
ということで、この1ヶ月間の「日暮綴り」は休載してしまった。もっともその間にBMWオートバイでのヨーロッパアルプス峠越えや、新しい合唱団への参加もあった。 |