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私の履歴書(5) <音楽・楽器>

バロック音楽アンサンブル

1974年に東京都町田市の団地の音楽仲間とバロック音楽アンサンブル「藤の台合奏団」を結成し、町田市を中心に年4回ほどのバロック音楽のコンサートを行う。 設立直後からこのアンサンブルには合唱メンバーも加わったため、名称を「アンサンブル・プロムジカポリフォニカ(PMP)」と変更し、毎年12月の待降節にはヘンデルのオラトリオ「メサイア」シングインコンサートを原町田教会で計19回、また復活祭の頃に J. S. バッハの「マタイ受難曲」を横浜市青葉台のフィリアホールで毎年公演した。 2001年4月、9回目の「マタイ受難曲」でこの二つの定期公演は終了した。

 

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合唱

1967 -           日本揮発油合唱団 (羽田野佑治指揮)

1970 - 1972  佼成中野合唱団 (後に東京声研合唱団と改名)

1974 - 2001  アンサンブル・プロムジカポリフォニカ (PMP) (永井宏指揮)

1975 - 1990 東京合唱団 (前田幸市郎指揮)

1978 - 1990  聖オルバン教会および聖路加病院チャペルのメサイアシングインに出演

1988年12月  米国メリーランド州フレデリック市においてメサイアシングインに出演

1990年から2011年までいくつかの合唱団の練習に参加した。

2023年5月 横浜オラトリオ協会合唱団メサイア演奏会 鎌倉芸術館 出演

2024年9月 シングインメサイアトウキョウ かつしかシンフォニーホール 出演

2024年11月 シングインメサイア大分 出演

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プーランクのオペラ

1998年の夏、長野県松本市で行われた第7回サイトウキネンフェスティバルにてプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」が小澤征爾さんの指揮で上演された。 当時このオペラの台詞の日本語の翻訳がなかったので私が翻訳した次第である。 このオペラはフランス革命の際に殉教した16人のカルメル会修道女の実話小説をもとに、ジョルジュ・ベルナノスが書いたフランス語の映画の台本に、プーランクが惚れ込み作曲したもので、1957年1月26日にミラノ・スカラ座でイタリア語で初演され、その後ヨーロッパとアメリカで絶賛されたいわくつきの作品である。

松本での一夜は夢のようなすばらしいものだった。えも言われぬ透明なオーケストラの響き、特に木管の絶妙な響き、はこれまでに聞いた事もない天国からの音を思わせる見事なもの。 オペラそのものは大変重く暗いものだが、シンプルな舞台演出は好感が持てました。最後の断頭台のギロチンの落ちる音の扱いには賛否両論、侃侃諤諤、うーーーーん。恐いですよーーー。 前年、神戸で予定されていたこのオペラの公演が、例の事件のために中止されたというおまけまでついているユニークで新しいオペラである。 というわけで、プーランクのお好きなあなたへ、ご紹介する次第である。

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テーレマン

私をバロック音楽愛好家にした18世紀ドイツの作曲家、音楽家。

日本では一般に「テレマン」と呼ばれる18世紀ドイツの音楽家、Georg Philipp Telemannのこと。 「ティーレマン」あるいは「テーレマン」と表記されるべきを、誤って「テレマン」と表記されている。 18世紀はじめに北ドイツで活躍した。ライプツィヒの学生によるコレギウム・ムジクム創設。楽譜 の定期予約出版。 ヨーハン・ゼバスティアン・バッハとの親交深く次男カルル・フィリプ・エマーヌエルの名付親でもある。教会カンタ-タ、器楽曲、オルガン曲、受難曲などなど、極めて多数。 研究はまだ未整理多くこれから。 日本では特に「誠実な音楽の師匠」、「晩餐会の音楽」、「ハンブルク港の潮の満ち干」などが好まれる。
テーレマンは当時ヨーハン・ゼバスティアン・バッハをしのぐ名声を得ておりまた、数多くの室内楽の楽譜の出版を行って音楽愛好家へのサービスをしていた。その楽譜の多さからいまだに作品の全貌がつかめず整理もいきとどいていない。

1960年代のバロック音楽ブームでリコーダーを含む室内楽の楽譜が多く出版され、世界中の人々はテーレマンの音楽に親しむ機会も多くなり、また、優れた演奏のCDも容易に手に入るようになった。一般には「ターフェルムジーク」で代表されるテーレマンではあるが、他の多くの室内楽作品はアマチュア の音楽愛好家にとってはヨーハン・ゼバスティアン・バッハよりもずっと身近な作品の宝庫といえる。

蛇足

「誰かが決めてそれが当たり前とされている読み方」、「テーレマン」か「テレマン」か、「長いか」「短いか」で思い出した。 全く違う英語の話。

日本語では、boot(s)を「ブーツ」といい、「book」 を「ブック」、lookを「ルック」という。「ブッツ」でも「ブーク」でも「ルーク」でもない。同じ「子音+oo+子音」なのに、片方は伸ばして、片方は跳ねる。それを「当たり前」として英語の発音にも適用するから、日本語人の英語の発音がまずい原因となる。英語では両方とも同じ発音である。

また、くどいようだが、語尾や子音の前のNの発音を「ん」だと思い込んでいるのも同じ過ち。「ナ行の子音」と考えるほうが英語の正しい発音への近道。 recommendation を発音してみてもらいたい。真ん中のnを「ん」と発音すると一音節増えてしまう。ここには音節がない、また、 reとcom は一気に、meはとても弱く、ムとマの間のあいまい母音で、nの子音とdの子音は本来2回舌が離れるところ、それは大変だから1回で済ますけれど、鼻にはほとんど抜かない。さらにmmを忘れずに、「リコームデイシユン」と発音する。当然最後のnは舌がついてそして離れる。

さあ、声をだして発音してみよう。boots, book, look, cook, recommendation. 

ちなみに Bach は英語では「バk」ないしは「バーk」であって「バッk」ではない。backもまったく同じ発音。

だから、逆に非日本語人が日本語特有の「っ」と「ん」を覚えるのは大変難しい。「突発原因」をうまく発音できる非日本語人はたいしたものだ。pp, ts(u), n-i,  n とたて続けに超難易度の発音が含まれる。中国語ではラテン語系と同様にn+母音はリエゾンすると聞く。日本語でもリエゾンするケースはたくさんある。

ゆえあって、能の「熊野 (ゆや)」に関心が引かれている。

昨日この曲の謡のCDを入手し、通して聞いた。 詞章は別にインターネットでダウンロードして手元において、聞くと、今では使われていない日本語の面白い発音とリエゾンがあることに気が付いた。

御入り おんにり

御暇 おんにとま

「おん」はドイツ語や英語のONと同じであったことがよく分かる。こんど、千円札 を  せんねんさつ と発音してみようかしら。

翻って、英語やドイツ語の語尾の N の発音です。 ヘンデルのメサイヤで多く出てる On という言葉。 

例えば

...hath laid on him 

... peace was upon him 

これを 「お ひm」 と発音すると、間が抜けてとても気持ちが悪い。

これは 「おN Him」 と発音しなければならない。 しかもレガートで。

また、

 ... on earth

は単に「リエゾン」ということで「オンナーth」と発音して解決するのではなく、英語のNの発音の基本を守れば、自然とできるものです。 それは「オンナーth」とは少し違う発音になるはずです。

どこが違うかって? 上に書きました。 

英語を上手く発音したいのなら、語尾の N の発音にこだわりましょう。

ついでに、日本語の「」 と英語やドイツ語の 「Hi」 もまた違います。 特に大文字で書かれる He が誰のことかを考えればなおさらのことです。

最後の M だって、ただ口をつむっておしまいではなく、普通はつむった唇を開けたときに初めての発音が完成するのです。 この場合、いつ口を閉じて、息を鼻からどの程度出すのか、というよりその響き、そしてついにその閉じた唇をいつ開けるか、それも激しくか、静にか、いや開くタイミングは指揮者は知らん振りして各自に任せるのか、それが大問題。 指揮者の力量と合唱団員の実力が試されます。 優れた指揮者と長く付き合っていると、そのへんは以心伝心となります。

さらについでに: 能の謡では「どこそこへ」の 「」 あるいは「」(旧字のワ行やヤ行の「」)という言葉が、今の日本語とは違うことにも気が付きました。 「ィエ」と聞こえます。 

そこでもう一言: 英語の子音の Y 、発音記号の[j]、また ドイツ語の J が今の日本語にはそれに近い「ヤユヨ」しかないので、つい普通に Year を「イヤー」 と発音したり、 JesuYes を 「イェイ イェイ」の「イェ」と発音しているケースが多いと思います。 これはやはり英語での子音としての Y の発音、 ドイツ語の J の発音を理解して、さらに練習して、身体に覚えさせないといけないと思います。

さて、そのテーレマンによって私のバロック音楽生活が始まったことは、履歴書(3)で書いた通り。そして下の「リコーダ」のところで「岩間名物テーレマンじいさん」になりたいと書いた。 今年(2007年)の第2回の「岩間リコーダーフェスティバル」では昨年に引き続き、「ファンタジー」の第2曲・イ短調をハ短調(フラット3つ)に短三度高く移調してリコーダーで演奏、出演する。以後毎年一曲づつ進める。だから「岩間名物テーレマンじいさん」のリコーダーによるファンタジー演奏は、2017年、私が74歳の時に全12曲の演奏を完了することになる。2017年の第12曲・ト短調(変ロ短調・フラット5つに移調)の演奏を是非聴きに、見に来てほしい。

また、昨年(2007年)のフルートのレッスンでは同じ「12のファンタジー」を月に1曲づつ仕上げて、年内に一通り浚うこととした。これで、来年(2008年)には「テーレマンの12のファンタジー」と銘打った「自分のためのフルートコンサート」を開きたい。義理で聴きに来てくれる方のためにすばらしい会場を予約し、休憩時には格別上等なワイン(シャンペンでもよい)、上手に入れた紅茶、甘ーいケーキを用意する。そして終了後に時間を割いてくれるお客様には私の好きな横浜のレストランでの晩餐会にご招待したい。

2008/03/11 追記

20年以上も音信不通だった藤の台合奏団の創立メンバーの一人であるヴァイオリンの岡部哲さんから、2007年になって突然連絡(このウェブサイトが検索で見つかったとのこと)があり、彼が主宰するコンサートのお知らせを頂いた。岡部さんは若い音楽家達に演奏会の機会を提供する目的で、東京都府中市で年に4回「ちょっときままにコンサート」を開催している。

そのコンサートの10周年記念に出演した。岡部さんから昔の思い出作りを兼ねて、テーレマンのヴァイオリンとリコーダーのトリオソナタの中から一曲ということで、a-moll (TWV42:a1)を選んだ。

 

 

コンサートは府中市の芸術の森にあるウィーンホール。パイプオルガンを備えた500人規模の立派なこのホールは響きが良く、音楽評論家の宇野功芳さんによると「日本で一番良いホール」だそうだ。演奏する側では舞台上での自分の音がよく響いて聞こえることは確かであるが、客席で聞いてみると残響が長くてやや響きすぎの感がある。

その響きすぎのおかげで、自分のリコーダーの音に残響がかぶさってなかなか上手に聞こえるところがご愛嬌である。

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パイプオルガン製作

細々と長々とパイプオルガンの構造研究を続けている。パイプオルガン製作という夢を持つ(死ぬまでに3台作りたい)。会社を定年退職後、町田のオルガン工房(マナオルゲルバウ)に弟子入りしたいといったら、皆から馬鹿にされた。これまでアイデアスケッチ多数、パイプ寸法計算チャートいくつか、試作パイプ数本、道具買ってきては押入れにしまいっぱなし。

基本教科書: George A. Audsley著 The Art of Organ Building

サブ教科書:H. F. Milne著 How to Build a Small Two-Manual Chamber Pipe Organ

Mark Wicks著 Organ-building for Amateurs

G. A. Audsley著 Organ-Stops and their Artistic Registration

Orgelwoeterbuch(日本語を含む全19ヶ国語)-CEOS v.z.w.

その他教科書:英語、ドイツ語、日本語など。

退職金の一部でパイプオルガンを買いたいと言ったら、妻はキチガイ呼ばわりした。

日本オルガン研究会会員

マナオルゲルバウ訪問を機に防衛庁研究所でオルガン音響の権威者の吉川茂さん、米国音響学者でやはりオルガン音響の権威者の Dr. George Plitnik と知己になる。

2002年2月、日本オルガン研究会の月例会にて、世界的なパイプオルガン製作者のマルク・ガルニエさん(東京芸術劇場のパイプオルガンの製作者)からミーントーン(中全音音律)のオルガンに関する講義を受ける

 

伊丹市の老人福祉施設サンシティホールのパイプオルガンが使われぬまま放置されいたがようやく譲渡先が決まったというニュース。 この「分水嶺ドットJP」の「私のこと」にこの「パイプオルガン製作」があることを思い出して「日暮綴り」にちょっと書いた。 今振り返るとパイプオルガンを作ることなど無茶な話だとは思うが、小さい1列の2、3オクターブのポルタティフなら作れたはず。 構造の勉強はやってよかったと思う。

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マナオルゲルバウ

町田市街の北外れに野津田という丘陵地の南斜面にマナ・オルゲル・バウというパイプオルガンを製作・販売・メンテナンスする会社の工場(工房といったほうがいい)がある。この会社はドイツでオルガン製作者の国家資格であるオルゲル・バウ・マイスターをとった2人の職人親方兼会社経営者が運営している。松崎譲二さんと中里威さん(2人の頭文字でマナ)です。

私が以前からパイプオルガンの構造の研究まがいのことしていることを知っている中村俊一さんがお二人を紹介してくれた。 こんなに近いところに本格的なパイプオルガンの工房があるので、感激してしまった。おふたりは日本の各ホール、教会、音楽学校、結婚式場などに中型のパイプオルガンを製作して納めてきた。水戸芸術館のパイプオルガンもマナオルゲルである。旧東京音楽学校(現東京芸大)の奏楽堂にあってこわれたままに放置されていた日本の西洋音楽史上重要なこのパイプオルガンを、奏楽堂再建(上野公園内に移築)に際して復元したのもおふたりである。

何度か工房を訪問して、製作中や修理中のいろいろな大きさのパイプオルガンを、中の構造も含めて見せてもらったり、私の作ったパイプを見てもらったりしていた。

見せてもらったオルガンの中でも、ポルタティフと呼ばれる持ち運びができ、手で持って演奏する小型のものは気にいった。 これは中世の絵画をモデルにしたもの。

古楽演奏家の濱田芳道さんの特注品。

私達がバロックアンサンブルで通奏低音楽器として使用するこのタイプのオルガンはポジティーフ、あるいはコンティヌオオルガンと呼ばれる。背も低く、また持ち運びも可能(200キロ程度)

松崎さんがドイツでのオルガン職人の修行時にこつこつと製作した自分用

吉川茂さん、中村俊一さん、George Plitnikさん

3人とも音楽音響学者

練習用の中型のものは、日本の家屋には少し苦しいが個人でも注文できると思う。5百万円から2千万円くらいかと想像する。

マナオルゲルからこれを買わないかと言われた。

中世から近世のヨーロッパの音楽好きの家庭にはこのような中・小型のオルガンがあって、家族や友人でアンサンブルして楽しんでいたようである。

自分で作れないなら、退職金の一部をまわして買いたいなとも思っている。

マナオルゲルバウ http://www.manaorg.co.jp/

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トロンボーン

豊中市立第5中学2年の時、ジェームス・スチュワートが演じる映画、「グレンミラー物語」を見て、トロンボーンにあこがれる。たまたま中学校で数点の楽器が購入された中にトロンボーンがあった。ニッカンのトロンボーン。どういうわけかブラスバンドを結成していた。

 

その時は音楽の知識がまったくなかった。一番基本の「ド」が遠い第6ポシションが不思議でならなかった。その下の「シ」が手の届かない第7ポジションも許せなかった。後でトロンボーンがトランペットやクラリネットを同じ「ベー管」であることが分った。それなら譜面も「変ロ調」で書けば良いものを、と思うがトロンボーンの長い歴史から伝統的に「ハ調」で記譜するのだろう。さて、ブラスバンドでは楽器の演奏法を教える人がいなかったから、英語の教則本を買ってもっぱら一人で学んだ。行進曲が好きだった。あるときに天王寺公園で講習会があった。他の人の上手なのに驚かされた。このブラスバンド仲間では、現在、関西学院教会牧師の森里信生君がクラリネットだった。また、チューバを吹いていた深田良治君は途中で覚えたオーボエで朝日ジュニアオーケストラに入った。私は中学卒業の時に彼に倣ってトロンボーンでこのオーケストラのオーディションを受けたら通ってしまった。 深田良治君と一緒にオーボエを吹いていたのは私たちと同年の延原武春さん。 日本テレマン協会を組織して今や世界楽界のオーボエ奏者である。

朝日ジュニアオーケストラで与えられたトロンボーンは Holton だった。最初にスライドの動きの軽さに驚いた。また管の両側を閉じてスライドを動かすと空気が漏れないし、抵抗がないから、元にもどるという当時信じられないことが起こった。どうやら、中学のニッカンのスライドは最初から曲がっていたらしくて重かったのに、初めてだからその重さが普通だと思ういい込んでおり、それが分からなかったようだ。朝日ジュニアオーケストラの練習場は豊中市庄内駅近くの私立の音楽大学(今の大阪芸術大学)。家から電車で30分ほどなのに、どういうわけかHoltonのトロンボーンが盗られてしまうのではないかといつもびくびくしながら通った。オーケストラに入ってからは針の筵だった。普段の練習は下振りさんが指揮をするが、演奏会本番は朝比奈隆さん。音程があっているのかどうか、音の大きさが良いのかどうか、当時クラシック音楽など聴いたこともないので、さっぱりだった。 2年間の間、この恐怖感は拭い去れず、とうとう、楽器を練習会場に残して無断で逃亡してしまった。退会の連絡はその後で自分ではできず親にしてもらった。この時の敗北感が逆に後に私を再び音楽に引き戻す力になったようだ。

 

なお、小学校の同級生の中嶋正弘君(故人)は早稲田大学のジャズバンド、ハイソサイエティオーケストラでトロンボーンを吹き、在学中から有名なジャズバンド「シャープスアンドフラッツ」でプロのトロンボーニストとして長い間活躍していた。

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リコーダ

1967年横浜の会社に就職して、独身寮住まいをしていた時、NHKの朝のFM放送で、ランパルが吹く「伝ビバルディ・忠実な羊飼い」のソナタの冒頭ではじまる服部幸三さんのやわらかい語り口での解説の「バロック音楽の楽しみ」があった。ビバルディは常に「赤毛の司祭」と紹介されていた。モダン楽器とは味の違うリコーダの音とテーレマンを中心とする器楽音楽に目覚めた。早速プラスチックのアルトリコーダーを買ってみ ようみまねで始めた。 銀座のヤマハには教本は英語とドイツ語のものしかなかった。楽譜は大阪 のササヤ書店、東京のアカデミアなどの楽譜専門店で手に入れていた。

寮の一人部屋で毎日毎日、吹いていた。 まもなく多田逸郎さんのシリーズが出版され、またクワドロ東京(バイオリン田中千香士、チェロ藤本英雄、リコーダ多田逸郎、チェンバロ小林道夫の各氏)の定期演奏会で、バロック音楽のとりこになった。

1974年に東京町田市で団地仲間で藤の台合奏団を結成した。合奏団では、テーレマンの「リコーダーと2本のフルートのための四重奏曲ニ短調」「組曲」、バッハ、ヘンデル、ペーツ、サンマルティーニなどのリコーダー曲を演奏した。

1993年頃、北鎌倉にある「笛」というコーヒーショップでのリコーダーアンサンブル「明月谷コンソート」に参加し、同時にこのアンサンブルの指導者である岩田泰さんからリコーダーのレッスンを受けたがたいへん厳しい教授法に付いて行けずに数ヶ月でギブアップしてしまった。我慢して続けていれば、もっと上手くなったのにと後悔している。

2003年12月にヤマハ銀座店で開かれているリコーダフェアに、またまたトラヴェルソの師である森本薫さんもお出でになっていたので、先生が推薦するヤマハのテナーとバスリコーダーを選んでもらい購入した。その際に先生からヤマハのリコーダー製作の責任者である山田有恒さんを紹介された。山田さんには後日アルトリコーダーの調整を直接していただいた。

2004年、合唱仲間数人からリコーダーコンソートをやりたいとのお誘いを受け、横浜市中区寿町のバプテスト横浜教会で月1回のアンサンブルレッスンを始めた。指導者は関東学院大学宗教音楽センターの講師で横浜教会のオルガニストである徳田博子さん。 初心者が多いのでエチュードとして吉沢実さんの「リコーダーアンサンブルの基礎と技法」を使用している。

使用リコーダーリスト

1967

国産 アルト プラスチック製(富山化学のアウロス)

1968

西独メック社 アルト Tuju モデル メープル 236

1975

西独メック社 アルト ロッテンブルク グラナディラ

ドイツホーナー ソプラニーノ グラナディラ(紫檀)

英国ドルメッチ アルト・ソプラノ プラスティック多数(ヨーロッパ出張の折にロンドンの楽器店で買い占めてきた)

1976

西独メック ソプラノ ロッテンブルク パリサンダー model 429

1998

ヤマハ アルト ボックスウッド(黄楊)YRA61 

2003

ヤマハ テナー YRT61, バス YRB61 いずれもメープル(楓)

 

2006年8月に住まいのすぐ近くにある横浜市岩間市民ホールで開かれた「リコーダーフェスティバル」にソロ演奏で出演した。このフェスティバルはリコーダー演奏家・指導者として人気の吉澤実さんが主宰して前年から始まったイベントである。テーレマンで火がついた私のバロック音楽人生ゆえ、このイベントでは当然テーレマンで、「無伴奏フルートのためのファンタジー 第1番 イ長調」を短3度高く移調してハ長調で演奏した。吉澤実さんとも親しく話しができたし、新しいリコーダーブームで吹き始めた色々な世代の方々に、こんな年寄りでもリコーダーを楽しく吹けるのだ、ということをお見せできたことが嬉しかった。来年からは無伴奏ファンタジーの残り11曲とチェンバロとガンバの仲間と一緒のソロソナタなどテーレマン一辺倒で90歳を超えるまで連続出場して「岩間名物テーレマンじいさん」になりたいと考えている。このフェスティバルには、鎌倉の明月谷コンソートと岩田泰さんも出演しており、直接会ってお話しすることはなかったが、「テーレマン」を演奏したことで、あのだめな生徒であった私を思い出されたかも知れない。冷や汗ものだった。

このイベントと相前後して、横須賀に住む音楽仲間が指揮している合唱団の定期演奏会のプログラムに入れるリコーダーアンサンブルへの出演に招かれた。そこで知り合ったTさんはなんと私たちより早く、1960年代半ばにカメラのキャノン社内で「ACTA」という立派なリコーダーアンサンブルを結成して積極的に演奏活動をしていたことをお聞きした。この国でのリコーダー演奏活動発祥の頃の物語の一こまを改めて知ることとなった。その中の結成メンバーのお一人は今もリコーダーアンサンブル活動を続けている。

2020年頃までにヤマハのアルトリコーダー、テナーリコーダーとバスリコーダーを残してその他のリコーダーをヤフオクで売却処分した。

演奏する機会は全くないが、孫が小学生・中学生になったことで、誰かがリコーダーに興味を持ってもらいたいので私のリコーダー経験の話をしたい。 彼らが望めば私が保存している木製のリコーダー一式を譲渡したい。 そのためにも現在市販されているプラスチックリコーダーのもっとも新しい機種を買った。

    Zen-on リコーダー G-1A 415Hz (Giglio) および G-1A

こちらへどうぞ。

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オーボエ

中学のブラスバンド仲間である深田良治君は普段はチューバを吹いているのだが、あるときに当時は大変珍しいオーボエを持ってきた。 大変高価な難しいこの楽器を彼は一生懸命に覚え、ついに中学在学中に朝比奈隆さんの振る朝日ジュニアオーケストラに入団した。私は中学卒業と同時にトロンボーンで入団した。その後彼は 大阪学芸大学(現大阪教育大学)・音楽専科に進み、卒業を待たずオランダへ渡りプロとなった。

オーボエの強烈な魅力が私に残っている。 1968年横浜にビンシャーマンがバッハゾリステンと来た。 この時オーボエが壊れて演奏が止まる事件が起こった。 朝日ジュニアオーケストラで一緒にオーボエを吹いていた延原武春さんが大阪にテレマン協会を作った。 テーレマ ンのマタイ受難曲の日本初演を西宮まで聞きに行った。 日本ではじめての本格的なバロックア ンサンブルである。 横浜にハインツ・ホリガーが奥さんのハーピストのウルズラ・ホリガーを 連れて来た。 ビンシャーマンとは全く違う甘い世界。

ああ、オーボエはいい、オーボエはい い、オーボエが欲しい、オーボエが欲しい、と思いつつ。 チェコ駐在の日当が貯まった。こんな高価なおもちゃを買える身分になったことに感激した。横浜のセントラル楽器のFuさんに選んでもらってヤマハのフルオートマチック YOB-422を手に入れた。Fuさんのレッスンを受けて 1年間。挫折した。難しすぎる。

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フルート

最近の優れたフラウト・トラベルソの古楽演奏に惹かれ、いつかはフラウト・トラヴェルソを演奏できるようになりたいと思い、一念発起して1998年11月よりモダンフルートを古賀至さんに師事してレッスンを開始した。 昭和音楽大学で開催されて有田正広氏の「バッハのフルート ソナタ公開レッスン」にも参加。2000年2月ヤマハグレード試験7級合格。80歳になったときでも バッハのフルートソナタやテーレマンのトリオソナタなどをトラヴェルソで演奏していたい。

2002年10月26日に仲間のアンサンブル「CPEバッハコレギウム」のサロンコンサートでは、エマヌエル・バッハのフルート曲を中心にしてプログラムを組んだ。まあまあのできであった。
70歳に到達した2014年も、歳と共に確実に下手になっていることを実感しながらも、レッスンと練習に励み、ときどき友人とのアンサンブルを楽しんでいる。

2014年5月 友人の渡邊千佳子さんの誘いでムラマツフルートサロンで開催されているフルート発表会に出演して エマヌエル・バッハの12の小品 Wq.81/H.600を演奏

2021年5月 フルートの楽譜すべてを古賀至さんに譲渡しフルート演奏活動を終了する。

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木管フルート

トラヴェルソ好きとしてはやはり木管フルートが欲しい。 アメリカのヘインズとパウエル両社 の日本代理店のカタログでは日本国内価格は200万円強で、高嶺の花あるが、メーカーの定価が10,000ドル(100万円強) であるのを知って、日本の輸入楽器市場の後進性を感じた。 プロのオーケストラで木管フルートを使う人が増えている。ヤマハは工藤重典さんの指導で設計、製作し、2000年10月に木管フルートの販売に踏み切った。 価格は85万円。 工藤さんが、2000年夏の松本で行われたサイトウキネンオーケストラでJ.Sバッハのマタイ受難曲を演奏したときにこのヤマハの木管フルートを使った。 アリアは見事。 トラヴェルソでもない、モダンフルートでもない、 全然違う不思議な響きである。また、このヤマハの木管フルートを使った演奏のコンパクトディスクも発売されている。 2000年8月の発表と同時に予約をしたら2年待ちとのこと。 どういうわけか、待つ楽 しみを堪能する間もなく2001年2月に納品された。

 

YFL894W #5744

 

2002年10月に「CPEバッハコレギウム」のコンサートで使用。

2021年5月 演奏活動終了と共にヤフオクで売却。

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フラウト・トラヴェルソ

フラウト・トラヴェルソは17,8世紀のヨーロッパ音楽のバロック時代の横笛である。現代のフルートは19世紀にベームによってどの音も均一にでるように改良されたものであるが、バッハ、ヘンデルやテーレマンの時代はフルートといえばフラウト・トラヴェルソである。ちなみにトラヴェルソは英語の transverse、すなわち「横型」のという意味。バッハのマタイ受難曲ではアリアで音の不均一さまでも勘定に入れて作曲されている。これは是非トラヴェルソで聞いていただきたい。

さて、念願かなって、2000年8月より森本薫氏に師事して本格レッスン開始。まず、「平均律」との音律の違いを体で覚えることから。

基本教科書は:

  • カール・フィーリプ・エマーヌエル・バッハの「クラヴィーア奏法」

  • レオポルド・モーツァルトの「バイオリン奏法」

  • フリードリヒ・アグリコラの「歌唱法」

  • ヨーハン・ヨアヒム・クヴァンツの「フルート奏法」

レッスン中の会話から

  • 「メッサ・ディ・ヴォーチェ」をやってごらん。 ああそれじゃ単なるクレッシェンドとディミヌエンドだ。 梵鐘の余韻をイメージしなさい。響きを大切に。

  • タンギングは te-re-te-re、ti-ri-ti-ri が基本。 弦楽器の弓の往復。 "e"といっても「エ」ではない。"r"といっても「ル」ではない。

  • トリラーは他の声部との和音で決まる。

  • 本質的修飾と任意の修飾を覚えよう。

オットテール、ボアモルティエ、リュリ、マラン・マレなどのフランス作曲家の音楽と、クヴァンツ、テーレマン、 バッハ、モーツァルトなどのドイツ・オーストリーの作曲家の音楽の違い。イタリアはまた違う。

2020年頃に楽器をヤフオクで処分。

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パイプオルガン演奏

パイプオルガンの自主製作を目指して構造の研究を続けているので、2001年暮に 「日本オルガン研究会」に入会し、日本各地のいろいろなオルガンを見て、聴き、触る機会が増えた。見て聴いて触るだけでは不満が嵩じた。それならとパイプオルガンの演奏を習うことにした。 たまたま近くの音楽院にパイプオルガンのコースがあり入会した。なんと講師は現役ばりばりでリサイタルも開いているプロのオルガニスト の荻野由美子さんであった。毎月2回、各1時間のレッスンはもう緊張しっぱなしで、家での練習の成果がほとんど表現できないほどである。あるレッスンでは神奈川県民会館小ホールのパイプオルガンを使った。ストップを多く使用する場合のキーの重さを実感した。

 

 

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電子式オルガン

パイプオルガンの練習用に電子式のオルガンを購入すべく、メーカからカタログを取り寄せ、それぞれの営業所やショウルームに足を運んでいるものの、まだ絞り込めていない。電子式のオルガンは現在世界に10社ほどのメーカがある。

  • Viscount   イタリア    ヤマハ、日本オルガン社扱い

  • Allen        アメリカ    パックスアーレン社扱い

  • Content   オランダ   クロダオルガン扱い

  • Ahlborn    ドイツ(イタリア) クロダオルガン扱い

  • Johannus  オランダ   カワイ扱い

  • Benedikt   ドイツ       日本オルガン社扱い

  • Hammond  アメリカ    鈴木楽器扱い

いずれも、ディジタルサンプリングによる音源とMIDI技術の組み合わせのようである。したがってパイプオルガンとは全く別の楽器であると認識すべきである。

日本ではバブル景気の際に多くの音楽ホールが作られ、またパイプオルガンも設置されたが、パイプオルガン自身が本当に納得できるところは数少ないのではなかろうか。持つ側、演奏する側、聴く側、作る側、いずれにも問題を抱えながらの無理な設置であると感ずる。オルガンコンサートのプログラムがいつもJSバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」というありさまはやはり異常である。

私の畏友でコンサートホールの音響の専門家である中村俊一さんが横浜市緑区のフィリアホールではパイプオルガンではなく、電子式のオルガンを設置しようと考えていることを高く評価しているのが印象的である。
2002年10月にピアノと交代で買い換えたクラビノーバにも3種類のストップ(Principal, Flute 8', Flute 4')音源が入っている。

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クラヴィノーバ

24歳の時に給与とボーナスをはたいて買って35年間も大切に保有してきたヤマハのアップライトピアノを2002年10月に処分し、替わりにヤマハのクラヴィノーバを購入した。豪華な音源、グランドピアノの鍵盤タッチ、MIDIシーケンサ、MIDIデータ読み込み用のフロッピディスクドライブもついて、実用的。もっぱらアンサンブルと合唱練習のためのカラオケマシンである。

孫達がピアノのレッスンを始めたので、我が家のクラビノーバを買い換えた。 CLP-745

2023年5月に年甲斐もなく合唱団に入団してヘンデルのメサイアを演奏することになった。 新しいクラビノーバにかつて作った MIDI音源のピアノパートを自動演奏させて再び声を出して練習を始めた。

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チェンバロ

2008年9月、スピネット型チェンバロをオークションで落札した。 1970年代に東海楽器が製造・販売したもの。 40年経過しているものの、錆もなく、キーやジャック、プレクトラムなど、ほとんど痛みもなく、そのまま使用可能である。

仲間のバロック音楽アンサンブルによる、「ちょっときままにコンサート」やフルートの発表会などに持ち出して利用している。 

購入後の分解・整備の模様はこちらの日記に書きました。

2020年12月 ヤフオクで売却処分。

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バイオリン

2010年8月からヤマハ大人の音楽レッスンのバイオリンコースの受講を始めた。 合唱とリコーダー、フルートの演奏において、自分の出している音がアンサンブルの中で、正しい音程を出しているのかどうかが不安になったからである。 40年もやっている合唱とリコーダーでも、また初めて10年もたったフルートでも、未だに正しい音程、特にアンサンブルの中での正しい音程を掴んでいるのかが分からない。  バイオリンという楽器は耳で聞いて、自らの意思で正しい音程のところに指を置くという能動的な作業が伴うので、バイオリンで音程感覚、ハーモニー感覚を磨くのが目的である。

2011年11月をもってヤマハ大人の音楽教室を一時休会

2020年12月 2台のバイオリンをヤフオクで売却処分。

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C.P.E.バッハ

18世紀のドイツの音楽家 Carl Philipp Emanuel Bach のこと。 16世紀末にモンテヴェルディで始まり、18世紀前半にヘンデルで終る150年間のヨーロッパ音楽の様式はバロック音楽と呼ばれている。 18世紀中期のドイツ音楽は啓蒙君主主義を経て啓蒙された市民社会への芸術へと変化し、その様式は同時代のフランスの「ロココ」に対して「多感(ギャラント)様式」と呼ばれている。 エマヌエルとその兄ヴィルヘルム・フリーデマンは父のヨハン・ゼバスティアン(大バッハ)から 学び多くの鍵盤曲と室内楽曲を残しており、「多感様式」の代表的な作曲家とされている。 これに続く18世紀後期はゲーテやヘルダーなどによる「疾風怒濤」(Strum und Drang)の運動が起こりハイドンやモーツァルトに影響を与え、そしてベートーベンに代表される古典派の時代へと足早に変化していった。(私が書いた「CPEバッハコレギウム」演奏会プログラムの解説より)

C.P.E.バッハに関する日本語の文献や資料はほとんどない。その中にあって、唯一、東京合唱団時代の友人であり、現在東京学芸大学教授であるバッハ研究家の久保田慶一さんの東京藝術大学の博士論文、「C.P.Eバッハ研究 改訂と編曲」(音楽之友社)、それによっやく2003年9月に、日本で始めての本格的なCPEバッハの本「エマヌエル・バッハ(音楽の近代を切り拓いた《独創精神》」(東京書籍)が立派な本になって出版された。これは我々素人には楽しくうれしい研究書である。

その他の手持ちの文献

  C.P.E. Bach - A Guide to Research:研究用に文献を網羅した本

  The Letters of C.P.E. Bach:(英語翻訳版)

ドイツ語の研究論文や書籍は結構あるが、読めないので英語のものを中心に、ぽつぽつと読み始めたところである。音楽学術雑誌は図書館で読むことになるが、音楽大学の図書館は、一般市民に開放されていないのがつらい。しばらくは一般の公共の図書館で資料探しをする。

2003年12月にスウェーデン大使館で開かれた中世音楽の夕べで、25年ぶりに久保田慶一さんとお会いした。C.P.E.バッハの研究の第一人者である久保田さんのファンである私は舞い上がってしまったが、これを機会に私の「CPEバッハ活動」に拍車がかかった。

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CPEバッハコレギウム

カール・フィーリプ・エマヌエル・バッハが大好きという珍しい仲間と毎月1回のアンサンブル練習をこなしている。このアンサンブル仲間を「CPEバッハコレギウム」と名付け 、2002年10月26日にはじめてのサロンコンサートを横浜「港の見える丘公園」の「イギリス館」で開催した。W.F.バッハのフルート二重奏曲、C.P.E.バッハのフルートとオブリガートチェンバロのためのデュオソナタ、C.P.E.バッハのフルートとヴァイオリンのためのトリオソナタ、他。

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