| 2017年2月13日(月) |
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黄河流路変遷

午前7時14分
「入唐求法巡礼行記」の東洋文庫版には巻末に円仁の旅行経路図が付いている
(2月9日の日記に添付した地図とは別のもう一枚の詳細地図)。
その図に「旧黄河」と「黄河」と2本の大河の流れが描かれている。 調べると有史以後紀元前から黄河の流れは洪水で何度も流路が変わって、ある時は黄海に流れ、ある時は渤海に流れるなど大きな変遷があった、ということを知った。 洪水で浸水する広大な流域は極めて平坦なので、早くから多くの運河が構築されて、人の移動や物流は水運によって行われていた。 最後の流路の変更は1938年日中戦争の際に日本軍の侵攻を妨げるために中国国民党軍が花園口の堤防を爆破して決壊を起こさせた事件
(黄河決壊事件・花園口決堤事件) による。
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