| 2017年2月20日(月) |
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円仁道中

午前7時14分 838年の遣唐使に同行して唐に渡った円仁達4人の僧たちは帰国する遣唐使一行と別れて840年の春に今の山東半島の東端にあたる赤山法華院から約1000kmの五台山に徒歩で向かった。 その旅行の道中の日記は仏法についての記述はほとんどなく、旅程や食事や宿泊のこと、そして食事や宿泊を提供する家の主人が親切だったか、いじわるだったかなど高僧らしからぬ俗っぽい記録が多いのは歩き疲れていたからか。 州
(登・莱・青・済・貝・鎮)
の境界を超える都度その役所に公験(旅行証明書)の発行を申請して、旅を続けて行く。 当時の黄河は現在よりも北を流れて渡河地点は現在の徳州市あたりかと思われる。 川幅は約200m、水は黄色く濁り流れは速いと書かれている。
開成5
(840年) 4月23日、黄山付近を旅行中の日記には、このあたりからは「普通院」と呼ばれる僧俗別なく五臺山巡礼者のための無料宿泊所があり円仁一行も普通院で休憩・宿泊している。 補注によると、10里(約5km)から30里(約15km)
毎に1カ所あったとあり、日本では古代律令制時代にもあって「布施屋」と呼ばれていたと。 東洋文庫版の「入唐求法巡礼行記
1」は五臺山の大花厳寺まで。 この後長安までの旅行、4年間の長安滞在後再び徒歩で揚州を経て847年夏に赤山から博多へ戻る後半は東洋文庫では「入唐求法巡礼行記
2」である。
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