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新しい食べ物
久しぶりに夕食後にテレビを見ながら晩酌、といっても500ml
の缶ビールを二人で半分づつ。 つまみにセブンイレブンのポテトチップ。 ポテトチップをつまむたびに私が人生ではじめてポテトチップを食べたときのことを思い出す。
大学は自宅から通っていたが外食することはなく酒類も飲まなかった。 父は毎日ビールの晩酌を続けていたが酒のつまみとしていわゆる「スナック菓子」というものは出されなかったので私はポテトチップというものを知らなかった。 横浜の上大岡にあった会社に就職して独身寮の裏の駄菓子屋で売っていた量り売りのポテトチップをはじめて食べてこれにはまってしまった。 今の袋入りのポテトチップよりずっとおいしかった。
「ピザパイ」なるものをはじめて食べたのは、これも入社後まもなく会社の合唱団仲間と行った野毛山の店。 仲間の一人でボクソールを乗りこなす「坊ちゃん」がよく行くという店に連れていってくれた。 こんな旨いものがあったのだと驚いた。 さすが横浜だと感じた。 当時の大阪にはこんなしゃれた食べ物はまだなかったのではないだろうか。
酒類をはじめて飲んだのは「独身寮」近くの「居酒屋」に寮の先輩が連れていってくれたとき。 しかしそれ以後「居酒屋」で飲むことはない。 今ではビールやワインを飲むことはあるが、日本酒やウィスキーは特別な機会以外ほとんど飲まない。 焼酎や今流行りだという「サワー」なるものは飲んだことがないし飲みたいとは思わない。
「レストラン」にはじめて入ったのは大学生の時(1962-1967)に産経新聞社大阪本社でアルバイトをしていたときに帰宅途中、阪急百貨店の増築した部分の2階にあった軽食堂「風車」、今テレビで大阪駅の混雑ぶりを紹介するときに映るあの横断歩道を撮影しているずばりあの場所である。 一皿のフライ料理と一皿のご飯がなによりのご馳走だった。

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阪急百貨店 昭和40(1965)年頃 |

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阪急百貨店
西別館2階 カフェ「風車」
歩道橋ができているのでこの写真は後の1970年代
横断歩道の手前で止まっているクラウンは4代目
(1971年発売) |
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一人で入って自分の好きなものを注文して自分の金で食べられる幸せ。
「冷やし中華」を外ではじめて食べたのも独身寮時代に弘明寺商店街の中華料理店 (今もある「廣州亭」だったかもしれない)。 大阪の我が家の「冷やし中華」は、水・醤油・酢・砂糖・味の素を混ぜたすっぱいつゆに蒸し麺を盛り、トマトとキウリをのせただけのものだった。 それが「冷やし中華」だと思っていた。 弘明寺の「冷やし中華」を見て、食べて、驚いて、この時の衝撃が頭の奥深くに記憶された。
「ソフトクリーム」は大阪。 子供の頃、豊中駅前に「新開地」という名の市場
(後にビルに建て替えられて「新開地デパート」という名になった)
があった。 父に連れられて買い物途中にその市場の中のカフェ風の店で買って食べさせてくれたのが、うれしくて、うれしくて。
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