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2020年8月12日 (水)

更新

 

大航海時代・カナダ


午前5時10分

大航海時代叢書 第II期 第19巻 「フランスとアメリカ大陸 1」の前半、ジャク・カルティエ (Jacques Cartier 1491-1557) による1534年から 1542年頃にかけて 3回のカナダのセントローレンス湾およびセントローレンス川遡行の探検の記録を読む。

セントローレンス湾を塞ぐようにあるニューファウンドランド島。 11世紀にノース人が入植し、そして放棄、その後1497年にイタリア人航海者ジョン・ガボットによって「再発見」されて以後、この付近は良好な漁場として知られてヨーロッパ各地から多くの船団が集まっていた。 

ジャック・カルティエの探検航路地図

大航海時代叢書 第II期 第19巻 (岩波書店)より転載

カタイ航路 (西回りで中国・インドへ至る航路。「キタイ」Qitai とも、「契丹」から転訛、「中国」を表す "Cathay" と同一) 発見という目的でフランス国王フランソワ1世の命で派遣されたカルティエの船団。 1534年、第1回の航海では到達したセントローレンス河口南岸の入江 (ガスペ湾) に停泊中に、漁のためにスタダコネと呼ばれている村落 (現在のケベック付近)から移動していた先住民集団と接触し、その首領の息子二人を拉致してフランスに連れ帰った。 

翌1535年から1936年にかけての第2回の航海ではセントローレンス川を遡行してスタダコネで再びこの先住民一族との再会、交流し、首領を含む複数の男女住民をフランスに連れ帰った。 

1541年から1542年の第3回の航海は2組に分かれ、先発のカルティエ船団はスタダコネに砦を構築し、さらにセントローレンス川を遡行してオシュラガと呼ばれる村落 (現在のモントリオール付近)まで到達した。 

1年遅れで出発した後続のロベルヴァル (カルティエの上席にあたる騎士) の船団 は航海の途中でオシュラガから引き返してきたカルティエ船団と遭遇し、さらにオシュラガに到達して入植者および食用植物や家畜を持ち込んだ。  カルティエの船団は遭遇後ロベルヴァルの命令に従わずに先に帰国した。 この探検が現在のカナダがフランス領となった先駆けである。

前に読んだアビラ・ヒロンの「日本王国記」は宣教師やキリシタンの殉教 (集団公開処刑) の場面が生々しくていやになったが、この探検記は、地理、植生、動物、先住民の宗教・習慣、食物 (玉蜀黍・トウモロコシ) などの記述なので、気持ちよく読める。 ただ先住民に関する記述はあくまでもヨーロッパ人の側から見た「未開人」として描かれているのは仕方ない。 因みに第1回航海で拉致した若者二人 (首領の息子) は第2回航海で元の集落に送り届け、案内者として、また先住民との意思疎通の役目を果たさせている。 第2回航海で拉致した首領他男女はいずれもフランス到着後4年以内にフランスで死亡している。

「カナダ」という国名は、この地域の先住民の「村落」を表すこの言葉をカルティエがその先にある大きな土地の名前だと誤解したことから。

 

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