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閑なので聖書を拾い読み。
エステル記: ふと、「クセルクセス」って何だろう、と気になって、この日記のタイトル検索で見つかった去年7月に書いた記事を読み直して、ヘンデルのオペラ「Serse」を聞いたから。 このオペラの題材のエステル記は古代ペルシャのクセルクセス王とその王妃のエステルとの物語である。 オペラのタイトルの
"Serse"
はこの王の名前のイタリア語で、日本語の「セルセ」で検索すると、オペラではなく、その冒頭で歌われるあの「ラルゴ」ばっかり。
この王の名前は以前の聖書ではヘブライ語から「アハシュエロス」と和訳していたが、今は古代ギリシャ語の"Xerxes"からラテン語に派生した表記の「クセルクセス」に更新された。 英語の発音は
[zɜːk.siːz] あたり。
エレミアの手紙: エステル記は旧約続編に
(ギリシャ語とラテン語)
があることを知り、その旧約続編の目次を見ていると、ページ数の少ない「エレミアの手紙」が見つかったので読んでみた。 痛烈な「偶像崇拝批判」だった。 インド、東南アジアの各国、それにわが国で仏像をありがたがる様を思い浮かべてしまった。
ヨハネによる福音書 12章24節: なぜかしら「一粒の麦」の由来を調べるため。 教会の説教ではよく取り上げらるようだ。 三浦綾子の「塩狩峠」でも有名。 バッハはカンタータ
"Ach, lieben Christen, seid getrost"
「ああ、愛するキリスト者よ、心安んぜよ」
(BWV114) の第4曲のコラールでこの喩えを引用している。
Kein
Frucht das Weizenkörnlein bringt,
Es fall denn in die Erden;
So muß auch unser irdscher Leib
Zu Staub und Aschen werden,
Eh er kömmt zu der Herrlichkeit,
Die du, Herr Christ, uns hast bereit'
Durch deinen Gang zum Vater.
麦の粒は、地に落ちなければ
実を結ぶことはありません。
私たちの肉体も
塵と灰に変わらなければなりません。
主キリストよ、あなたが私たちのために
父なる神への道を通して造られた
あの威厳を得る前に。
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